こんな満たされない世界で写真は何をもたらすのか。
もやもやっとした感情は、きっと僕一人じゃなくって今の世界の情勢を見ている多くの人々が抱えているのかもしれないなんて、勝手な推察から書き始めてみる。
ロシアとウクライナの戦争が連日報道されていた数週間前。
気づけば、終わってもいないのに少し静かになってきたように感じる。
この戦争をきっかけに未だこんな惨事が行われていることを信じられないと思うけれど、知らないだけで内紛など絶えず続いている。
そんな中日本では、今は知床観光船の事件で話題はもちきり。
なんか濁っているそんな世間に、「平和」だな〜なんて軽々しく言い放っていた少し前の僕は、平和という魔物に騙されていたんじゃないかって思うようになった。
タイトルに戻るが、こんな混沌とした世の中で写真はいったい僕自身に何をもたらすのだろう。
先に結論を書くとするなら、「どんなささいなことでもいい、当たり前のような時間に希望をもたらしてくれる」のかもしれない。なんて思った。
SNSを通して、実に多くの写真好きに出会ってきているが、お一人お一人シャッターを切る理由は違う。
そういう話を聞いてきたことも振り返りながら、出たのが前述の結論。
正直、たくさん撮って、たくさんレタッチして、納品しているとなんでやっているんだっけってふとなるものだ。
そして、極め付けはSNSで自分の作品がなかなか評価されないとくる。
ただ、この点についてはなぜ自分をそう卑下するんだって考えるようになった。そして一つたどり着いた答えが、「たまたま自分の作品に共感してくれる人にまだいくぶんしか出会えていないだけだ」ってこと。
だから、早く出会いたいわけなんだけど。。。
カメラを持ち始めたことで、ほんと些細なことへのアンテナが立つようになった。
それが揺れているのか、光っているのか、匂っているのか何でもいいけれど、何かその時出会ってしまったことへの意味を知りたいと思うようになってしまった。
そして、それを残したいのだと。
その手段が僕にとっては、たまたま写真だったってこと。
人はいいこともわるいことも、忘れていく。
忘れたくないものがたくさんあるけど、気づいたら忘れていた。
忘れるから、永遠に満たされない感情がいつも僕の中で生きている。
それをお腹いっぱいにしたくて、明日も写真を撮る。
写真を初めて4年目。
どんどん向き合い方が変わっていく。
来年、まったく違うことを言っているかもしれないけど、それはそれで楽しみにしておこうと思います。