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好ましい自分を取り戻すために、毎日同じ曲を聞いて散歩をした話
1.はじめに
こんにちは、あおしです。
私はほぼ毎日、同じCDアルバムの曲を聴き続けて1年になります。
そんな私が書く、ルーティンを定めることが、健康と精神の安定に繋がるという話です。
私は一時期、出勤するときに、ほとんど同じ時間に家を出て、同じ曲を聴いて、同じ店で昼食として同じ商品を買うということを続けていました。
歩くルートもほぼ固定化し、どの道を歩いて、どの角で曲がるのかということを定めていました。
ここまで書くと、ちょっと距離を置いておきたい人感が出てきていますね。
以前の仕事が、早番と遅番と夜勤の3交代制だったのでした。
早番なら早番の行動ルーティン、遅番なら遅番のルーティンと、生活をパターン化しようとしました。
2.ルーティン化するきっかけ
アップルの創業者として知られるスティーブ・ジョブズがこんなことを言っていました。
「判断をするということは大変な労力だ。僕は人生の中で最も必要だと思うことに、判断力を残しておきたい」
何かの書籍でこのような言葉を知って、私は納得感を得ました。
彼が生前から同じ服を着て仕事をするというスタイルなのは知っていましたが、その理由がきっとこれなのだろうと。
彼のスタイルの一押しもあり、いかに生活から判断を減らすことができるかを考えてみる日々が続きました。
なぜなら、以前読んだジムレイヤーの「メンタルタフネス」という書籍から、私は好ましい習慣が、好ましい精神状態を創り出すことができると、知識では知っていたからです。
それを実践する時なのだろうと思いました。
3.不明瞭な生活で失っていくもの
私にとって好ましいルーティンを確立することは、自分の健康を維持するための装置のようなものでした。
別な仕事をしていた時、私は仕事に熱中しました。
これは再現性が非常にあるのかと思いますが、繁忙期に削ってしまいがちなのは「食事」と「睡眠」です。
私はもともと料理自体は嫌いではなく、一人暮らしで自炊をしていました。
しかし、業務内容が忙しくなればなるほど、私は食事にかける時間が面倒になってきました。
「何を食べていいかわからん」
仕事を休職する1ヶ月前にはこんな状況に至っていました。
もともと緩みがちだった体型に常に嫌気が差していて、体重計に乗っては嫌な気持ちになっていた気がします。
そこで、気持ちだけの健康志向を気取って、マルチビタミンとプロテインバーを摂取して、糖質を摂るのを嫌がっていると思えば、力をつけなければと、つけ麺を大盛りで食べてしまう。
その挙げ句、夜中に胸焼けで起きて、睡眠の質が下がり、眠れない。
誤った栄養学の知識と、食習慣の乱れが、さまざまな要因と波状に絡み合い、私の心身の健康を蝕んでいきました。
とにかく自炊をして健康的なものを食べようと考え、
圧力鍋で食材を煮込んだものを食べていましたが、第三者から見れば、味も整っていないよくわからないものを食べていた気がします。
その後、仕事を休職し、ありがたいことに実家に帰り、久々に母親が作った食事を食べました。
その時、健康的な生活というのは、今まで当たり前だと思っていた食事を、当たり前に食べることから始まるんだなと、しみじみと思いました。
4. 生活を改善しようと試みた話
焦る気持ちと不安を携えながら、何かの縁で私は仕事先が決まりました。
それが冒頭に紹介した三交代制の仕事です。
「とにかく同じ失敗を繰り返したくない」
「あの状態に戻りたくない」
という気持ちが原動力となって、生活の中で色々と習慣づくりを試してみることにしました。
毎朝、ポジティブな書き込みをしているツイートを見るようにして、ポジティブな歌詞の音楽を聴く。
疲れた時でも、なんやかんや健康な食事を摂れるように、安くて栄養価が摂れる食事メニューに固定。
昼ごはんを大量に摂取すると、サーカディアンリズムで眠たくなって、パフォーマンスが落ちるから食べすぎないように。
YouTubeでは、「習慣」と「健康」ついて扱っている動画を流し聞きする。
そうして学んだことで良さそうなことをまた実践する、というサイクルを意図的に積み続けるようになりました。
そして、創り上げた習慣が、いずれ自分が困ったときに、防波堤のように役に立つはずだと考えました。
5.最後に
この世の中には、いろいろな自己啓発書を始めとしたいろいろな情報があります。
一時期、「習慣」と「健康」に関する情報をひたすら浴びていました。
そういう書籍から得た答えは、「小さなことから行動すること」「その積み重ねを習慣にすること」です。
私のイメージからすると、そういう自己啓発書というのは、「自己成長」とか「良いキャリア形成」とか、
そういうビジネスライクなものと繋がってしまう感じがあります。
それは言わば、今の自分自身に対して、プラスαの何かを積み重ねるための、方法論なんだろうなと思います。
一方、私にとっては、「健康」と「自分自身だったもの」を失ったことを、取り戻していく、マイナスをゼロにしていくものでした。
かといって、マイナスとさせるのは、常に何かとの比較ですので、その点にも注意は必要ですが。
そのように考えると、私が望んでやまなかったのは、「好ましい自分を取り戻す」ということだったのかもしれません。
「きっと、なんやかんやなんとかなる」という気持ちを大切にしながらも、それを維持していくには「朗らかな意志」のようなものが欠かせないのかもしれません。
穏やかに朗らかで在り続けるということは、「ある種の修行のようなもの」なのだなあと感じています。