はじめまして、わたしという人について話します【これまでの話編】
こんにちは。といたです。noteをちゃんとはじめてみました。
簡単に言ったら茨城が大好きな人なのですが、改めて。
今していることのnoteはこちら。
|だいたいのプロフィール
戸板 咲紀(といた・さき)と言います。
「といた」とか「さきちゃん」「さきさん」って呼ばれることが多いです。
水戸で生まれて5歳の頃にひたちなかに引っ越してきてから、高校までずっとひたちなか。
大学進学を機に東京に。3年東京で暮らした頃にコロナ禍になってしまい、ロシア留学を諦めて茨城に1回目のUターン。
茨城でいろんなことをはじめて、いろんな人に会って2年が経った頃、新卒で千葉の会社に就職、引っ越し。千葉のいい感じの郊外に暮らしました。今でもお気に入りの街です。
それでもやっぱり茨城で、茨城に関わる仕事がしたくて転職と同時に2回目のUターン。こうして今に至ります。
動き方としては、
『茨城18年→東京3年→茨城2年→千葉1年→茨城(今)』
って感じです。
これだけ茨城大好きだと言っていると、ずっと茨城にいるイメージありますし自分でもそう思ってたのですが、意外と拠点は移してきたかもしれないです。
茨城の人と自然、うさぎとカメラ、コーヒー、ワインが好きです。
車の運転も好きです。音楽は洋楽を聴きます。それと、もふもふしたものは大体好きです。
|これまでの話
振り返れば高校から茨城が好きだった
高校の時、自由に研究していいよ〜みたいな授業があったんです。
そこでわたしは、茨城弁の研究をしました。
祖父母と住んでいたわたしには茨城弁はとても身近なもので、それを毎日聞きながら過ごすのは結構楽しかったんですよね。
楽しいものはどうやってできてるのかな、どういうルールがあるのかなと気になって調べようと思った記憶があります。
言語とか茨城とか、この頃から好きだったんだと思います。
ロシア語を勉強したくて東京に
その後、ロシア語を専門的に学びたくて東京外国語大学を受験、無事に合格してロシア語科に入りました。
もう何百回も聞かれた質問「なんでロシア語なの?」の答えのバリエーションはいろいろあります。
みんなと違うことをした方が面白いと思った、ロシアの建築が好きだった、寒いエリアの言語を勉強してみたかった、などなど。
でも本当の理由は、「なんとなく」なんだと思います。笑
明確な理由がなくたって、心が向く方、いい匂いがする方に進むのが好きな人です。
今でもロシアが好きですし、ロシア語が好きです。
コロナで茨城にUターン(1回目)
そんななんとなくご縁のあって結構好きなロシア。
もちろん長期留学するつもりで外大に入りました、がコロナに。
モスクワ行きも決まってたし、あとは渡航するだけだったんですけどね…
こんな非情なことってあるんだなあと思いました。
たくさん迷って悩んで泣いた結果、未知のウイルスの怖さには勝てず、留学を断念しました。
ロシアにも行けないし、コロナの影響で自由に遊べもしない、バイトしかできない東京暮らしに意味を見いだせなくなって、日本で一番好きな場所・茨城に帰ることを決めました。
茨城に帰ろうと思ってネットでいろいろ調べていたのに、わたしが求める「仕事でも仕事じゃなくてもいいから何かおもしろいこと」の情報が全くなく、帰ってきて何をするかを考えるのにはかなり苦労しました。
そんないろんな絶望のなかで藁をもすがる思いでした決断が、わたしの人生を変えてくれました。
茨城に帰ってきたんだし楽しいことしたいなあと思って関わり始めたひたちなか市のイバフォルニア・プロジェクトに始まり、イバフォルニア・ベースのコミュニティマネージャー、海辺のドライブインライブシアターの企画運営、ワーケーションプログラムの企画運営まで関わらせていただきました。
地元の大学の同い年の友達に誘われて期間限定カフェの運営もしたなあ、とっても楽しかった!
帰ってきてから1年たった頃、自分でも何か始めてみたくなって、「SETTEN」というプロジェクトをはじめました。
大学時代、コロナ禍の中でインターネットを頼ってイバフォルニアの情報に辿り着くまでに、かなりの時間と労力がかかりました。
こんなに情報が見つからないのってどうしてなんだろう、茨城に帰りたい人がいて、帰ってきてほしい行政がいるのに、なんでこんなに大変なんだろうと素直に思いました。
情報を探すだけで心が折れてしまいそうなこの状況は、誰の幸せも生み出せないと思ったんです。
茨城に帰ってきてから1年間、いろいろと動いていましたが、その中で、茨城に帰りたいと思う人と過去の自分をどうしても重ねてしまっているわたしがいることに気づきました。
それはもちろん今もです。
ほかの人にわたしが経験した苦しい時間を過ごしてほしくない。
もっとほかのことに時間を使えるような環境をつくりたい。
わたしが過ごした苦しい時間は、茨城でもっと笑顔でわくわくを感じられる時間として過ごしてほしいし、そうあるべきだと思っています。
そういう思いで、SETTENを立ち上げました。
茨城に関する情報発信や、わたしと同じ世代の人がゆるく集まって茨城で遊べるようなイベントの開催を行っています。
新卒で千葉に
こんなに茨城が好きなのに、なんで県外に行ったのってよく言われます笑
それは、一旦会社員を経験してみたかった、当時とは違う環境でやってみたかった。
そんな感じです。
茨城で関わってきたプロジェクトはやりたいことにあっていたし、なんならやりたいことそのものだったし、やりがいもあった。
でも会社員として働くこともしてみたい。経験としてきっと大事になる。
1回会社員やれば、社会というものがなんとなくわかるんじゃないか。
3年ぐらい会社員やって、経験積んで茨城に帰ってこようかなと考えてました。
就活生だったわたしは、茨城の企業ももちろん調べていたのですが、業種から考えて、自分の方向性とは少し違うのかなと思っていました。
そういう思いから、新卒では県外に出ようかな、という気持ちが強くなっていきました。
研修制度も整っていて、働き方も柔軟で、そして茨城以外の地域にも関わる経験ができるような企業に就職することに決めました。
やっぱり茨城がいい!Uターン(2回目)
3年ぐらいしたら茨城に…と思っていたのが、思ったよりも早まって1年で新卒入社した会社を退職し、茨城にUターンすることに。
茨城への思いは変わらずある中で、「わたし、このままでいいんだろうか」と悩んでいた去年の年末。
大学時代にインターンでお世話になっていた株式会社カゼグミのすーさんに、「カゼグミで働くっていう選択肢もあるよ」と言ってもらえたんです。
今回こそはこの手を、このチャンスを離しちゃいけないと思って、「カゼグミがいいです」と即答しました。
即答したことにいちばん驚いていたのは自分です。
いい洋服や結構欲しいものが見つかっても一旦買わずに家に帰って少し考えてから買う。
イベントやお仕事のお誘いも、「ちょっと考えます」と言って持ち帰る。
そういうことをするタイプの人なんですよね、普段は。
でもここで、その場で決められてよかったと思います。
逆に言えば、あの時の決断をよかったと思うように好きなことを好きなようにやるだけです。選んだ道は自分で正解にしちゃいます。
4年前も、ロシアに行かない選択をした直後、同じことを考えていたのを改めて今思い出しました。
決断の軸って意外と変わっていないもんだなあと笑
|今の話はまた今度!
まず、最後まで読んでくださってありがとうございます!
自分のこれまでの人生について、こんなにオープンに書くことってなかったので、ちょっと恥ずかしい気持ちです(笑)。
でも改めて振り返ることができてよかったなと。
今やっていることの話、お仕事の話はまた今度。
書き終わったらここにリンクを貼る予定です。
ぜひまたお会いしましょう〜
では。