【日記】余白を意図してつくること
こんにちは、といたです。
私が関わっているIBAFORNIA MARKETも無事に開催でき、ほっとしているのと楽しかったのとでまだ余韻を感じている今日この頃です。
イバフォルニア・プロジェクトには、私は今年で関わって4年目になります。
大学3年の終わりから、休学、卒業、社会人1年目、そして今、という感じですね。月日の流れは早い。
そんなふうにして、私は「阿字ヶ浦に育ててもらった」感覚があります。
もちろん、阿字ヶ浦と一緒に生きてきた感覚もあります。
これまでの3年間、いろんなことを茨城でさせてもらってきたけど、根底にはいつも阿字ヶ浦があったと思っています。
マーケットを運営するチームのみなさんは、全体としてゆるい感じがあるんですよね。
「いい感じで!」「まあ大丈夫っしょ!」「当日の流れで!」みたいな。
その場の状況、雰囲気、自分たちの気持ち、いろんな変数がある中で、ゆるくさっと行動を選び取っていくその空気感が好きで、素敵で。
うまくいかなくても誰かが励ますし、フォローするし、まあいっか!ができるってなかなかないことだと思います。
得意なことも仕事も生まれ育った場所も年齢も違う、本当に多様なメンバーでこのマーケットをつくっています。
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これまでの3年間、イバフォルニア・ベース、SEA BOX、IBAFORNIA MARKET、AJIKATION、いばらきワーケーション…
気づけばめちゃくちゃいろんな経験をさせてもらいました、ありがたいです!
※内容気になる人は検索してみてください(笑)
これを経験と捉えるか、「やらされた」と捉えるかは本当にその人次第だと思います。
経験と捉えられる=素晴らしい/やらされたと捉える=悪い、とは全く思いません。
そこの違いって本当に紙一重だと思います。
しかも、取り組んだイベントや役割とかじゃなくて、かなりの確率でそのチーム内の人間関係とか自分のモチベーションによって、その事象への評価が変わっちゃうと思ってます。
何が言いたいかって、「これは自分のために、そして自分が楽しいからやっているんだよね?」という自分自身への意思確認が大切、ってことです。
これはお金もらってる/もらってないに関わらず言えることだと思っています。
その意思確認をするためには、いろんな余白が必要だと思います。
自分が自分に確認できる心の余裕、
イベントに関わる/関わらない、でその後の人間関係が変わらないこと、
ルール決めすぎるより「もしこうなったらこんな『ふうに』すればいいよね」のゆるめのリスクヘッジ感、
みたいな。
この余白は、関わる人が自分自身と、チームメンバーのことを許すことができて初めて生まれるものだと思います。
本当にいけないこと、チーム全体の目指すものと違うところは注意したり怒ったりすることも時には必要かもしれないけれど、人間としての性質は絶対に否定しない。
その人がその人でいることを許すことができている雰囲気はすごく大事だと思います。
これまで関わってきた人たち、そして私自身がそれを完璧にできているかと言ったらそうではないと思いますが、それを大事にしようとする人たちが周りに多くいてくれました。
だからこうやって、今も阿字ヶ浦に関わり続けることができているんだと感じてます。
これからの私は、それを誰かに提供する側になっていくんだと思います。
自分が空気を作っていく側になっていくし、それが阿字ヶ浦への恩返しになるんじゃないかという思ったり。
それでも、あんまり恩返しとかは考えすぎずに、自分と自分の周りの人をまずはちゃんと笑顔にしていけるようにしたいなと思います。
阿字ヶ浦いつでも遊びにきてねっ
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