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躁鬱の解体 #5

前回まで「鬱の解体」でしたが、「躁鬱の解体」に変えようと思います。
理由はまあ、明白だけれど後述します。

前回から1週間が経ちましたね。
あれから何があったか書きます。

前回投稿時は、制作に没頭している時でした。

8/10に控えたイベントに、新しいzineを出品するからです。

手を動かしていると、次第に頭も冴えるし、なんだか気分が良くなるものです。
完成まで一直線。完成したらしたで、色んな先輩や知り合いに見せて意見を貰う。
これは自信のあるものが出来た時のぼくがよくやる事です。
たくさんの人に連絡をして、「いいよ!」と返信が来て、嬉しい。
会って、話をして、「こんな視点があるんだ」とか「そういう事も面白いかも」と常時スイッチオンな状態でした。楽しくて楽しくて仕方がない。口に出して「幸せだ、、、」と言ってしまうくらいには振り切った状態だったわけです。

そんな日々が毎日続いて今日。少し入眠が甘かったのもあるにせよ、「なんだか注意散漫だな」な日でした。台風が来ているのもあるかもしれませんね。もしかしたら、また谷底へ落ちてしまうのか。そんな不安を抱えて心療内科へ行きました。

心療内科に行く日なので、夏休みをあけて少し日に焼けた先生と会いました。「旅行に行ったんですか」と聞いた時の先生の愛らしい笑顔は百点と言わざるを得ません。普段はうんうんと話を聞いて静かな顔でパソコンにメモを残す事に専念しているから尚更に。

仕事には、未だ行けていない事。制作しているものがまだある関係もあってか、常時ハイな状態であり、かつ自身はその方が合っているし楽しいと感じている事。今後どう立て直すつもりであるか、仕事はどうするか。そんな事を話しました。

結論から言うと、「一度時間をとってゆっくり考えましょう」とのことで、
「双極性感情障害」そんな名前を診断していただく運びになりました。

ぼくはなんだか安心したのを覚えています。ここに来て尚、「いや、これじゃあ診断書は出せないよ」とか言われたらどうしようかな、なんて考えていたから。

言い方はよくないかもしれないが、大手を振って休職ができるわけです。
当然のこととして、あるべき生活を求める努力を怠らない前提で、好きなように時間を使える。これほど、制作に意欲のある今の自分に幸せな事はない。そう結論づけました。


「鬱の解体」から「躁鬱の解体」へ名前を変えるのは、そういった経緯です。
鬱の時の自分を細分化して理解するのと同じ温度で、躁の時の自分も細分化して理解してあげなくては、この道程に終わりはない。わたしはまた逆戻りをして全てめちゃくちゃにして、気分がよくなったらヘラヘラして生きる事になってしまう。
そんなのは嫌だ。心からの気持ちです。

そういえば小説を手に取るようになってから、文章に起こすのがなんだか上手になったように感じています。これに限らず、色んな事が前に進んでいる。このまま、どうか崖から落ちるように、また”あの時”に戻らないように努める義務がわたしにはあります。


次回は何を書こうかな。思案しておきますね。
おやすみなさい。

240816

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