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ヒキからピアサポーターになって辞めるまでの話

以前、ピアサポーターという仕事をしていた。約8年間。その前は引きこもりだった。その事を書こうかと。ピアを辞めてから(辞めざるを得なかったというのもある)役3年経った今。まだまだ負った傷を癒せないままで。

引きこもり時代の話の前にまずはピアサポーターの話をしようと思う。

仕事内容は退院促進事業(地域移行とも言う)における精神科病棟の長期入院患者さんの退院の意欲を促すこと。同じ精神障害者という仲間として分かり合える者として。PSW(精神保健福祉士)の上司に促され、仕事をした。そこは戦場と言っても許されるんじゃね?と自分では思う。

退院促進事業とは何か。

退院促進というのは精神科病棟に1年以上から50年にも達する入院(社会的入院と言う)患者さんへ、退院したらよいことがありますよ、安心してくらせますよ、我々が仲間なので何でも言ってください、一緒に地域で暮らしましょう、と退院意欲を促すというものである。そして地域で暮らせるように衣食住をどうするか相談しながら決めて、最終的には退院して何らかの形で娑婆に出る、自由になる、というものだ。

まぁ皆が皆そうできるわけではない、許されるわけではない、ということは仕事をしてから知る事となる。

自分が退院促進事業のピアサポーターになったのは、当時精神障害者として働く場所というものは田舎であるこの街にはほとんどというか全くなかったから、そういう仕事があり、B型作業所より良い賃金(作業所の工賃は時給にして100~高くて200円とか)をもらえるから、ピアサポーター育成の研修に地域の多くの精神障害発達障害者が応募したのである。

そして自分は当時、精神障害当事者の自助サークルの運営に携わっていたことも手伝い、当初4名の中の一人として選ばれたわけだった。ラッキーと思ってたねそんときゃ。今でも関連の仕事に未練はあるけど。もう多分できないのだと思うけどこの街では。

早い話、手っ取り早く健常者に近い時給をもらえる、それだけの事だった。最後まで最低賃金以上にはならなかったけど悪くない額だったね。

研修で話されたことは、長期入院、社会的入院とは何か、長期入院患者さんはいつでも退院できるような人ばかりであり、手助けがあれば地域で暮らすことが可能になること、その救世主的な役割をするのがピアサポーターとして選ばれた者であること。ということだった。自助サークル関連の人間関係で様々な面倒事や厄介事に巻き込まれて人助けする羽目になっていた自分には、バックにPSWという専門職が付いているというので楽勝じゃん~と思っていたのだった。わはははは。わはー

なんだけどまぁ、最初の仕事でそんなのが嘘っぱちってのがわかってしまったのだった。

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