たぶん、耐力が低い自分なのに無理してまた頑張ってしまうのね。
煮詰まったら、また一歩ずつ。
1週間を休みのために、一生懸命やり抜こうと
前のめりに働いていた時と病気になってからの
1週間生き抜くのは変わりないと思うことがある。
客観的に日々を見つめて、「頑張りすぎてないか自分〜」と、疲れてるなって思ったら振り返る。
めちゃ、気負いするほど、気持ちを追い込みすぎてしまう事がある。
完璧じゃないのに、完璧主義な自分。
〇〇しなきゃいけない。〇〇すべきだ。が潜んでる。
朝は何時に起きなきゃ、仕事は加減無しで、
帰るまでにこれを終わらせ、帰りにこれを買って帰らなければ他に時間がない。
切羽詰まって、ギリギリを生きていた自分。
「よく頑張ってきた」
足を止めると、すべて遅れてしまうとか思ったりして焦っていたんだよね。
何かをするために、どのくらいのお金と技術と時間が自分には必要で、なおかつ出来るのか。
こういう部分を維持して生活を送ることを考えると何か自分が今してることは何一つ無駄ではないと思うようになった。
先日、ネットでADSのセルフチェックをしてみた。私の病気には当てはまらないけど、もしかして
何か潜んでるんじゃないかと試してみた。
可能性は低かった。
確かにコミュニケーションの部分や人に自分の気持ちを伝えるのが苦手な部分はあるんだけど、育った環境とか文化で異なってくるのは十分にわかる。
私は人見知りが激しい。
そもそも、他人に自分の気持ちを伝えるというのが
他人が信用できなくて苦手であった。
自分の親族や身近な人でさえ考えて話す。
今は私は〇〇と思うと落ち着いて話すけれど、緊張してしまい、ましてや他人に対して恐怖を感じてしまうのが私の大きな課題。
馴れ馴れしくするとかではなく、普通に会話をするというのが緊張して幼少期から出来なかった。
だから、自分は病気だと思って生きてきていたし、
友人も少ない。そういった世間の目や自分の中に引け目を感じて話すときにはいつもあがってしまうのです。
病気があると診断されてから、楽になりました。
頑張って普通になろうとしなくていいんだ、自分は自分でいていたほうが人と話しやすいなぁと思ってから棘が抜けました。
今の私は二重丸◎
簡単にいうと、背伸びしていたんだなぁと言う感じです。
自分に厳しくしてしまったら、道をそれて生きていかなければならないかもしれない。
遠回りだったかもしれないけれど、自分の限界と自分の事を知れたんだと思います。
だからこれからどういう風に生きていくのかが大事です。
最近は少し自分の中で忙しかったりして、家族が何かを頼んできたりしたら、自分の事で忙しいのに断れない事があったりして疲れてるなと思い最低限の事をして過ごしてました。
もう少し、ペースが戻るまで時間が掛かりそうです。
一歩ずつまたリセットして一歩ずつ生きよう。