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「震災」という言葉が指す出来事が宮城と兵庫で違うことに改めて気づく
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無印のキンダープンシュがあったかくて美味しいので、朝に飲みながらニュースを眺めることが多い。兵庫県に住んでいると、1月は阪神淡路大震災の話題が多くなる。
宮城県における3月のような感じだなぁ、と思う。
わたしは仙台出身なので震災というと2011年の東日本大震災を指すことが多い。でも先日神戸のカフェで仕事をしていたら隣のマダムたちが「震災の…」と言葉を始め、阪神淡路大震災の話をしていた。
つくづく、この国では多くの震災があるんだなあと思ったタイミングだった。
仙台なんかは地震が多いので、数年おきに5だと6だのの規模の地震に遭遇する。怖いは怖いけど、正直「地震だけであれば」慣れてしまうこともある。それもどうかと思うけど。
そして定期的に、その慣れを飛び越えるような災害が発生して、ものすごくたくさんの悲しみが生まれる。2011年もそうだったし、1995年もそうだった。2024年もそうだった。実は本当にそういうことがたくさんある国だ。
でも、その悲しみが次世代の誰かを守るための技術や法律の礎になる。自分が今生きているのも、誰かの悲しみをもとに生まれた何かのおかげなんだろうな。
阪神淡路大震災のとき、小学1年生だったなあと思い出す。親戚が複数兵庫に住んでいるので、朝から家の大人たちがドタバタしていた記憶(ありがたいことに全員無事でした)。
テレビはニュースでてんやわんや。めざましテレビが新番組として始まった直後だったような気がする。
数日後、学校の昇降口前で高学年のお兄さんお姉さんが募金を始めていた。帰宅後そのことをお母さんに話したら500円くれて、これ明日募金箱に入れてきなさい、と言われたな。
今年の「やりたいこと」のひとつに毎月どこかに寄付することがある。今月は災害関連の何かに寄付しようかなぁ。守られていることに感謝しながら、誰かの悲しみを支える力になれたらと思う。