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「仕事=お金を得るため?」の答えを探しながら、ありたい自分を考えてみた。

お金をたくさん稼ぐ人は、効率よく仕事ができる。

1人で、1人以上の力を発揮して世界を変えていく力を持っている。

私は1人分ギリギリの力を発揮できているかどうか、あやしい。

ただ、仕事は熱心じゃないかもしれないけど、道に落ちているゴミを時々拾うことができる人間で。

この点は自らの美徳に数えている。

私がゴミを拾っても、家のゴミ箱に捨てるだけなので1円にもならない。

偽善と言われようと世界をより良くしているので、気分はいい。
見て見ぬふりをするより、ずっと自分のことが好きでいられるし。

仕事=お金を得ること?

道端のゴミ拾いに価値を感じて、行動することはできるのに

「仕事なんだから」とか
「利益が」とか

言われると途端に思考が停止する。

「資本主義とは〜」って、主語が大きくなると素人の私には語れないけれのだけど。

『お金』とか『利益』に苦手意識をもったまま、なんとか社会(というか会社?)にしがみついているのが私です。


悩んだのでとりあえずググってみた。

そんなわけで、サラリーをいただいて生活させてもらっているけれど、組織にとってはあまりよくない人物のはずで。

もちろん自分にとっても生きやすいとも言えなくて。

それでも毎日働く心を癒すため、文明の利器に頼ろう。

お金と仕事の関係が知りたくて、『お金を得ないと仕事じゃない』とググってみた。

耳の痛い話が書いてありそうな記事はスルーして、スクロールを続けた。

すると、浅生鴨(あそうかも)さんの連載『選ばない仕事選び』第6回にたどり着いた。

この記事のおかげで、少し心がかるくなった気がする。
よく読んでみると、中高生に向けた『仕事とお金』に関する連載と書いてある。

びっくり。


『仕事をちゃんと選べず大人になり、今なお仕事に選ばれても気がつかない大人向け』なのでは?

思わず、そう疑ってしまうほどに刺さった。
そして、私の悩みは中高生の頃から変わらないことにも気がついた。

「仕事ってお金を得ること?」
という悩みを、私はずっと抱えてきた。

あの頃は『将来』が遠くにぼんやりあって。
目の前の『大学受験』がそこに到達するための唯一の切符だと信じて疑わなかった。

どこの路線の、何号車に乗るかばかり気になって、肝心な『目的地』まで考えられていなかった。

他の路線でも行けたり、電車に乗らず自転車でも行けたりするのに、「何時何分発のこの電車に乗るため、この切符を買うしかない」と思い込んでた。

ずっと同じ悩みを抱えたまま大人になってしまった。


そんな私の最近のメモには『どんな仕事を選ぶより、どんな自分でいたいかが重要』と書いてある。

自分の気持ちを言葉で表すのが好きだから、文章を書いて仕事にできたらどれだけいいのだろうと思ってきた。

と同時に、「そんなに甘い世界じゃない。しっかり稼げる実績を示さないと生きていけない。」こともわかっていた。

だから、なんとかあがいてみた。
単発で化粧品紹介記事を書いた。
クラウドソーシングサイトに登録した。
案件を探した。

どうしよう、苦しい。書けない。

こんなことでつまづくなんて「そこまで文章が書きたいわけじゃないんだ」って思った。

でも、たぶん、違う。

自分が書きたいのは「ラクして儲ける」でも、「良いか悪いかわからない商品を宣伝する」でもない。

「悩む人に寄り添い、少しだけ前を向いて生きる手伝いをする」文章が書きたいし、そんな自分でありたい。

書きたいことは、書けば良い。
書きたくないことでお金をもらっても辛い。

「仕事=お金をもらうことではない」と、IT起業家から僧侶になられた小野龍光さんがおっしゃっていた。(俗世を離れた彼の澄んだ眼の美しいこと。)

『お金をもらうことが目的になっているから苦しい』のだと。

お金がもらえたら、それはそれは嬉しい。
でも、そこを目的にした途端に苦しくなる。

だから、お金にはならないけど、今書きたいことを書いてみた。

これを読んだ人の人生が変わるような、エモーショナルで有意義な記事が書けるわけではない。

それでも、私と同じように『日々の色々でささくれた気持ちを持て余している人』の心に、何かが届くといいな。

答えを知りたい人の役には立てないけれど、一緒に悩む同志にはなれると思う。

少しずつ。
自分の何かを変えるために書いてみよう。

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