4)未来は僕等の手の中
誰かのルールはいらない 誰かのモラルはいらない
学校もジュクもいらない 真実を握りしめたい
僕等は泣くために 生まれてきたわけじゃないよ
僕等は負けるために 生まれてきたわけじゃないよ
これはTHE BLUE HAETSの「未来は僕等の手の中」という歌詞だ。
僕の思春期の頃は、まさにこんな気持ちで生きていた。
とにかくもう学校や家には帰りたくない
自分の存在が何なのかさえ分からず震えている
15の夜
こちらは尾崎豊の「15の夜」
思春期の頃、私はこんな気持ちで生きていた。
だからブルーハーツと尾崎豊が好きだった。
高校を卒業した後、上京し、下北の珉亭に行ったり、渋谷のクロスタワー3Fのテラスから夕陽を眺めたりした。
東京に一人でやってきて、やっと自由になれた気がした。
あとはひとりで自由に生きていく、そう決意した。
でもやがて、大人になって働き出すと音楽を聴くこともなくなった。
10代の頃はあんなに夢中になって音楽を聴いていたのに、意識して音楽を聴くことがなくなっていった。
仕事から帰宅すると、決まってビール片手に深夜のお笑い番組を見て過ごすようになっていた。
大人になった代償なのか、僕はブルーハーツや尾崎豊の心を次第に忘れていった。
10代の頃は、生きることの辛さをブルーハーツや尾崎豊で発散してたけど、大人になったら、生きることの大変さをビールとお笑い番組で発散するようになった。
でもあるとき、真実を握りしめたいと思うようになった。
ただ漠然と生きるのではなく、せっかくだから自分がこの世界に生きている意味を見つけてやろうと思いたった。
そう思うと、僕の心は踊り出した。
「私」ではなく「僕」で生きていこうと思った。
すると、ブルーハーツの「未来は僕等の手の中」の歌詞が浮かんできた。
あまりにも突然に 昨日は砕けていく
それなら今ここで 僕ら何か始めよう
すると、尾崎豊のメロディーが流れだした。
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだ
この夜に自由に なれた気がする 15の夜
そして、私の中から10代の「僕」の気持ちが蘇ってきたのだ。
なぜなら、僕の自我はブルーハーツと尾崎豊で創られている。
でも、10代の頃と違っているのは、あの頃は、周りに対しての不満から生まれる苛立ちだった。
でも、大人になってから生まれたのは自分に対しての苛立ちだった。
大人になったのにもかかわらず、まだまだ無力な自分への苛立ちだった。
10代の頃の「僕」には「未来は僕等の手の中」にあったけど、東京に一人でやってきて、渋谷で夕陽を見たとき、「自由になれた気がした」けど、大人になった「私」には、「未来」も「自由」もなかった。
だから、今こそ「未来」や「自由」を手に入れようと思う。