自分を洗練させて幸せになる
今日のタイトルの中にある洗練は、「練って洗う」と書くので「試行錯誤をして無駄を落として必要なものだけを残していく」という意味があると考えてもいいだろう。
また、この洗練を「たくさんある物事から自分にとって必要となるものを厳選し、よりシンプルにしていく」と考えることもできる。
自分を洗練していけば、その分、迷いが消えていくためスムーズに物事が運んでいくようになり具現化のスピードも上がっていく。
そして、具現化の速度が上がっていけばいくほど、幸せを感じる時間が増えていく。
幸せは、自分にとって必要な物事を洗練していった先に存在する。
自分が何を求めているかを知り、その思いを洗練させていけば、人は必ず幸せになれるのではないだろうか。
そこで、幸せな状態を生み出すには「練る期間」と「洗う期間」、「具現化していく期間」という3つの期間があると考えてもいいだろう。
わかりやすく区分けをするなら、幼少期や青年期は「練る期間」で、青年期から成人期は「洗う期間」となり、成人期以降は「具現化していく期間」と考えると分かりやすいかもしれない。
感受性の強い幼年期から青年期にいろんなことを経験し、そういった中から自分の好みを見つけていき、青年期から成人期にかけて、その好みをより具体的に洗い出していくことができれば、その後に望みを具現化していく期間に入っていけるようになる。
そうやって適度に自分の意識をブラッシュアップしていけば、順当に幸せを具体化していけるようになるだろう。
もちろん、成人期以降の「具現化していく期間」に入ってからでも、絶えず自分自身を洗練させ続ければ、幸せの規模をどんどん拡大していけるようになる。
個人だけでなく同じような思いを持った仲間たちとともに具現化していけば、幸せの規模を拡大していける。
互いが望む幸せを、他者とあるいはコミュニティーで協力し合って具現化していけば、社会規模での幸せを生み出していけるようになる。
そういった社会を創っていくためにも、まず最初にしなければならないのが、自分にとっての幸せとは何かを知って、それを洗練させていくことなのだ。
そういった意味でも、自分を知るということを幼いころから意識的にしていくことが幸せの近道となる。
もちろん、自分を洗練させる行為は年齢に関係なくできることでもあるため、幸せになるという決意があれば、いつでも幸せを生み出せるようになる。
自分にとって何が心地よいか、何が楽しいか、何に喜びを感じるかを具体的に知って、少しづつ無駄を省いてシンプルにしていけば、幸せを身近なものにしていけるようになる。
シンプルにするということは、抽象度を高めていくことでもあるため、自分の意識を洗練させていけば、「愛」「喜び」「調和」「平和」「自由」というような意識で生きられるようになるだろう。
このため「洗練」という言葉を、「統合」と言い換えてもいいかもしれない。
統合された意識には強さが存在しているし、そういった揺るぎない強さがベースにあるからこそ人は幸せになれる。
我々は誰もが、幸せになることを望んで生きている。
それを実現させるには、自分がどこに向かっていきたいかという思いを洗練させていけばいい。
洗練の先には美しさが存在する。
幸せは美の結晶なのだ。
洗練の先にある美を見つけ、それを絶えず磨き上げていけば、人は誰でも幸せを体現して生きていけるようになるだろう。
幸せとは、洗練によって生まれる美学でもある。
幸せという美の結晶は、自分自身を洗練させていくことで手に入れることができる。