第11節 よく生きるには感性を豊かにすればよい
老子さんのツイッターというべき「老子道徳経」には、こんなつぶやきが書かれている。
よく生きるために、感性を豊かにするということは、なんとなく理解できるけど、「身体を通じてものごとを感じれば、自分がどうしたらいいか、どうなればいいがただちに分かる」ということが、よく理解できないんだよね。
だって、身体が何かを教えてくれるって、そんなはずはないと思うんだ。
もちろん、身体はお腹空いたとか、トイレに行きたいとか教えてくれるけど、人生を決めるようなことまでは教えてくれないはずだからね。
とはいえ、あの老子さんがそんなこというわけだから、きっと何かの意味があるかもしれないね。
なんだかんだいったて、老子さんには色々と気づきを貰っているし、それに、僕はこれから就活を辞めて旅をして生きる身だし、身体を使う秘訣について聞いておいた方がいいような気もする。
とりあえず、質問だけしてみようかな‥‥‥。
そう思った僕は、老子さんのツイッターにコメントを入れることにした。
「身体を通じてものごとを感じれば、自分がどうすればいいか、どうなればいいか、ただちに分かるって、本当なんですか?」と。
そして、例のごとく老子さんが出てくるのを待ったんだ。
すると、しばらくして老子さんがやってきた。
「おお! 呼んだか?」
「あ、老子さん、こんにちは。いつもお呼びだてしてしてすいません」
「おお! 構わぬよ~。どうせ暇じゃからな」
そういった老子さんは、はっはっはぁ~と笑います。
「で、今日は何のようじゃ?」
「ええ、老子さんのツィートに、人間は身体を使って物事を感じれば、どうすればいいか、どうなりたいかが分かるって書いてあったんですけど、どうも理解できなくて」
「なるほど‥‥。それは確かに仕方ないかもしれんの。お前らはまったく自然と離れて生きておるから、身体に聞くということを理解できぬのは、当然のことじゃ。きっと100年前の人なら、ワシのいっていることはある程度理解できたことじゃろう。いや、今でも理解できるやつもおるけどな。日々、自然と暮らしておるような人は、身体で物事を判断してたりする。しかし、今の人達は自然と自分を別物だと思っておるし、身体を使わずに頭でしか判断せんからの」
「まあ、確かに。僕等は昔の人に比べると、自然との距離は遠くなっているかもしれないし、頭の中だけで物事を考えているような気がします。そう考えてみると、僕も旅をしているときは、感覚が研ぎ澄まされるというか、身体全体で何かを感じるときもありました。タイのある寺院に行ったとき、何か、僕は遠い遠い昔にここで暮らしていたような、そんな感じにとらわれたこともあったりしました」
「なるほど。では、なぜそう感じたと思う?」
「なぜ? 分かりません。ただそんな気がしただけです」
「おお、いい感じじゃ。それが答えじゃ」
「は? 言っている意味が分かりません」
「では、お前はなぜ生きている」
「え? なぜ生きているって、それは、生まれてきたからです」
「正解」
「は? なぜ正解なんですか」
「では、聞こう。お前はなぜ腹がすく」
「え? いやそれは‥‥、食べたものが消化されて胃が空っぽになったから‥‥かな?」
「では、聞こう。お前はなぜ恋をする?」
「は? だってその人を好きと感じたから」
「では、聞こう。なぜその人を好きと感じる?」
「えっと、その人が可愛いと思ったから」
「では、聞こう。可愛いの定義とは‥‥」
「えー、‥‥‥ ってこの問答に何か意味があるんですか」
「よし! 大正解!!」
「こういった問答をお前はどう考える?」
「えっ、全く意味がないと思います」
「それじゃよ。そもそも今のお主らは、意味のないことばかり考えておる。所詮考えても仕方がないことばかり考え、勝手に心配し、勝手に不安になって、勝手に自分を苦しめている。
そんなことより、お前の身体にお伺いを立てて生きていたほうがよっぽどましなはずじゃ。身体はすべての答えを知っている。だから身体に聞けば身体は応えてくれるものじゃ。
腹が減れば食べればよい。恋をしたら恋を楽しめばよい。旅に出たいと思えば旅に出たらいいではないか。お前は、なぜ旅が好きなのだ?」
「なぜって、いわれると、上手く答えられないけど。なんかワクワクするし楽しいから‥‥。なんか理由があるようで理由はないような気がします」
「なるほど、お前は明確な理由があるから旅をしているわけではないんだな」
「はい、そうなります」
「では、お前がしていた就活とやらは、どうじゃ理由はあったか?」
「それはもちろん理由はありました。だって大学を卒業したら生活するためには働かなければならないし、それにどうせ働くならお金がいいとことの方がいいし、学校で学んだことが役立ちそうで、少しでも楽しそうなところで働いた方がいいし、そう思って就活していました」
「でも、それを辞めたんじゃろ」
「ええ、まあ」
「なぜじゃ?」
「なぜじゃっていわれても‥‥。強いていうなら旅をしていた方が楽しそうだし‥‥、もちろん実際に旅は楽しいし、生きているって感じがするし、それに、人生一度きりだから‥‥‥」
「ほう。ならば生きてるって感じているのはどこじゃ?」
「どこ?」
「そう、どこの部分じゃ?」
「ん? 生きてるって感じる場所? ? どこ? えっと、からだ? うん、身体です。もちろん、楽しいと感じてそれを言葉にしているのは頭だけど、生きているって感じているのは、身体だと思います」
「では、聞こうお前が就活しているときは、どこを使って生きていた?」
「え? ‥‥そうですね。少なくても身体ではないですね。頭を使っていたような気がします。身体全体で生きていたっていう感覚はありませんでした」
「それが、答えじゃ」
「え、それが答え?」
「♪そーです、そーなんです、それが答えじゃ! エブリバディ、強引でも不安じゃね、ってな。はっはっはっはー!」
「え、ウルフルズ‼‼」
_| ̄|○ ガックリ
「まあ、いいだろう。では宿題じゃ。しばらくの間、頭を使わずに身体にいろいろ聞いて生活してみるんじゃ。そうすれば、身体がなんでも教えてくれるということがわかるじゃろう。ではまたな‼」
そういって老子さんは、姿を消してしまいました。
老子さんを見送ったあと、しばらくぼんやりしていると、一枚の紙が目の前にひらひらと舞い落ちてきました。
その紙には、こんなことが書かれていました。
どうやら、これを参考にしろということらしいです(-_-;)
つづく
*この記事は架空の老子さんと大学3年生の「僕」の脳内会話のフィクションです。なお、文中の行書体で書かれている文章は老子さんの超訳本である「老子 あるがままに生きる」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)から引用させて貰っています。