好奇心は自分を知るためにある
前回、「好奇心が幸せの原動力」という記事を書いて、好奇心が加速する瞬間があるということに気づいた。
どういうことかというと、好奇心が芽生え新しく何かに挑戦しているとき、その好奇心を加速できるような瞬間を生み出せるかどうかで、それを長く続けられるかどうかが分かるということ。
「好奇心が加速する瞬間」を別な言葉に言い換えると、「スイッチが入る瞬間」といってもいいし、あるいは「ギアが上がる瞬間」といってもいいだろう。
いずれにせよ、そういった瞬間を迎えることができるようになれば、好奇心を枯らすことなく、楽しんで生活していけるようになるのではないかと思う。
たとえば、僕は一日おきに記事を書いているけれど、記事を書いている中でもスイッチが入る瞬間があり、そういった瞬間を迎えることのできた記事は、自分でも満足できたりする。
記事を書く日は、テーマをその日の朝に思い付くことが多く、その内容に沿って文章を綴っていると、自分の顕在意識では思いつかないようなことが浮かび上がってくることがあり、そういった瞬間にスイッチが入り、一気に文章を書き上げられるようになったりする。
僕が、こうして飽きることなく文章を書き続けられるのは、このスイッチの入る瞬間があって、それが楽しいからということができる。
書道でいえば、日々、継続して字を書いていると、どういうわけか急に上手に書けるようになる瞬間があったりする。
そういった瞬間を迎えることができると、字を書くことの楽しさが増していったりする。
記事を書いているときに急にスイッチが入るのも、筆で字を書いていて突然、上手に書ける瞬間も、なぜそういったことが起こるのかを明確に説明することはできない。
しかし、そういった瞬間を得ることができると、好奇心がさらに強まっていくし、そういった瞬間が楽しくて、今はこのふたつのことを継続することができている。
そして、こういった原理を知ることができたことで、これまで僕がしてきたいくつかの仕事が、長続きしなかった理由も理解できるようになった。
たとえば、これまでの仕事の中でも、スイッチの入るような瞬間を得ることができたなら、もしかすると何度も職を変えることになったのではないかとも思う。
これまで僕がしてきた仕事は全く興味がなかったわけではなく、「面白そう」という好奇心を持って始めたものだ。
しかし、残念ながらどの仕事も当初抱いていた好奇心を膨らませることはできなかった。
もし仕事をしている中で、心にスイッチが入って好奇心を加速させるような経験をしていたなら、あるいは、今でもその仕事をしていたかもしれない。
でも、残念ながらそうなることはなかった。
現在、文章を書くことや筆で字を書くことを楽しめているのは、自分のペースで自分で考えながらできるということが大きい。
自分のペースでできることのよさは、自己対話ができるという点にあるだろう。
自分で考えて試行錯誤するということは、自己対話をするということでもあり、こういった自己対話の習慣が次第に養われていったのが、長続きできている理由でもある。
自己対話をしていく中で、自分の中に潜んでいる潜在的な意識を顕在化できるようになっているから、今こうして「書く」ということを楽しめているように思う。
一定期間「書く」ことを通じて自己対話をする習慣を身に付けたことで、潜在意識に眠っている物事を引き上げていく力がつき、それが楽しく感じられるようになって、好奇心を加速させるスイッチが入りやすくなっているように思う。
日々、自己対話をすることができ、そういった対話の中から新たな気づきを得ることが、今の自分の好奇心を刺激できるようになっていると思う。
幸い、そういった環境を生み出すことができたため、「書く」ことを続けられているという側面もある。
現在の社会のシステムでは、自分で考えて自分の思い通りに何かをしてみる機会は、あまり多くないように思う。
特に仕事をとなると、じっくりとっ腰を据えてやるという時間があまりなかいように思う。
職人さんのように、一つの物を生み出すのに何カ月も掛けるというような姿勢は、今の時代の風潮に反している。
しかし、僕が望むのは、一つの物を創り上げていく方なのだと思う。
自己対話をする機会が少ないということは、自分の中に眠いっている意識を顕在化する機会が少ないということでもある。
時間を掛けて何かに取り組めないのであれば、すでに存在している答えを採用し続けていった方が早く済む。
しかし、外側にある答えを採用し続ける限り、好奇心を育てていくことは難しいのかもしれない。
外側にある答えを採用するということは、自分で考えるということをしなくなることでもあり、内に秘めた好奇心を刺激することができなくなってしまう。
「なぜ」「どうして」「どうやって」ということを考えずに、すでにある答えを使い続けていると、行為はただの行為となってしまう。
僕は、これまでしてきた仕事を、そうやってこなしてきたように思う。
だから、好奇心を持って始めた仕事でも、面白さを感じることができずにすぐに飽きてしまっていたのだ。
僕の性格的な傾向として、自分のペースで自分の考えを自分の力で形にしていきたいという思いがあるのだと思う。
そういった性格的な傾向を、ちゃんと理解することができていたなら仕事選びもっと違った選択をしていたに違いない。
今にして思うと、そういった思いを幼い頃からずっと持ち続けてきたように思うし、そのことに気づいていながら、実際には、別な理由で仕事選びをしていたように思う。
そういった意味では、今、こうして自己対話ができる生活できているということは、幼い頃からの望みが叶った状態といっていいだろう。
だからこそ、今は自分の好奇心にスイッチを入れやすい状態で過ごすことができているということもできる。
自己対話が好奇心を加速させるし、自分の中に潜んでいる物事を顕在化できるようになると好奇心を加速させられるようになるのだと思う。
そして、自己対話をし自分の中に眠っている意識を顕在化できるようなこと(好きなこと・楽しいと感じること)を見つけ、そういったことと日々、向き合っていくことができるようになれば、好奇心を枯らすことなく生きていけるようになるだろう。
そうなるためには、まずは自分の活かし方を知ることが欠かせないのかもしれない。
自分を知るということが、自分にとっての最大の好奇心でもある。
自分を知れば知るほど、自分の活かし方を知ることができるようになる。
そういった認識を得ることができれば、湧き上がった好奇心を無下にすることはできなくなる。
湧き上がった好奇心に常に刺激を与え続けることができれば、自分をより詳しく知ることができ、自分を活かしながら生きられるようになることだろう。
好奇心は、自分を知るためのツールとして存在しているのかもしれない。
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