自分と一致しているときの感覚で生きる
前回の「自分と一致して生きると、見えてくること」という記事で、自分と一致して生きていけるようになると人生の課題を克服できるようになり、その結果、高次の自分(ハイヤーセルフ)の視野を得て、今世での役目を果たして生きていけるようになる、ということを書いた。
今回は、その続編として、自分と一致している感覚で生きられるようになると、どういった効果が生まれるのか、ということを書いていく。
もし今抱えている人生の課題のすべてを克服できるようになったなら、どんな気分で過ごしているだろうか、そんなことを考えて貰いたい。
あるいは、自分と一致し高次の自分として存在できるようになり、スムーズな人生を運べるようになっている、そういった自分の姿を思い描いてみるとどんな気分を感じるのかを想像してみてもいいだろう。
こういったことを思考し想像を膨らませていくと、次のような思いが浮かんでくるに違いない。
何一つ制限を感じることなく自由に過ごせていることに、感謝の気持ちが湧き上がってくる。
周りの人から、たくさん愛されるようになって嬉しさの中で生活できるようになっている。
あるいは、日々、気づきを得ることができるようになったことで、人生のスムーズさに心地よさや幸福感を味わうことができ、自分はとても恵まれている、などなど。
こういった嬉さや心地よさの感覚を味わっていると、自分は何でもできるという思いが湧き上がってくるようになり、やがてすっと行動できるようになっていくことだろう。
人は、できるという思いを持って行動できるようになると、目の前の現実に変化を与えられるようになる。
こういった状態が、自分に一致した状態といっていい。
「思考が現実をつくる」という言葉を見聞きしたことがあると思う。
我々は、誰もが自分の思いによって日々の現実を生み出している。
これは紛れもない事実である。
このことを知り、意識に対して意識的に生きられるようになれば、人生の舵を自分で握れるようになっていく。
この「思考が現実をつくる」という言葉をもう少し詳しく表現すると、次のようになる。
「思考が感覚を生み、その感情によって現実が生み出される」と。
思考が現実を生み出すわけではない。
思考によって生み出された感覚が、目の前の現実を生み出している。
単なる思考だけでは、感覚をともなうことはない。
しかし、思考したことから感情を得てそれを感覚にして味わっていけば、それが現実を生み出す力となるだろう。
感覚とは一つのセンサーであり、そのセンサーによって新たな現実を生み出している。
思考によって生じてくる感覚を十分に味わって、それを味わい尽くすことで、感覚というセンサーを働かせることができるようになる。
感覚こそが望む現実を生み出すツールだといっていい。
自分と一致している感覚を日々、意図して感じていけば、やがて本来の自分の姿に近づいていけるようになっていく。
実をいうと、幸せや心地よさを感じている状態こそが、我々、本来の姿である。
我々は、幸せや心地よさが存在としての基本の形であるということを心の中の深い部分で知っている。
だからこそ、現実世界で思い通りにならないことがあると、苛立ちを感じたり無価値観を感じたりするようになっている。
このため、自分は何でもできるという感覚を味わってみたり、思い通りに人生が運んでいる様子を意識して感じていけば、我々が本来持っているパワーを思い出すことができるようになることだろう。
すべての現象は自分の思考や感情による感覚が生み出している。
我々は、どうしてもネガティブな出来事に感情を動かされる傾向にあり、過去にあったネガティブな出来事を思い返し、その感覚を頭の中で再現しずっと握りしめていたりする。
ネガティブなことを何度も思い返して追体験し続ければ、それと似たようなことが目の前に現れてくるのは、当然のことといってもいい。
しかし、こういった思考回路を逆転させていけば、目の前に現れる現象に変化を起こせるようになる。
何に焦点を当てて生きるかで、我々は現実を生み出している。
このことを知って理解できたなら、日々の生活に対する姿勢が変わっていき、普段、何を考え何を感じて過ごしているかを観察しながら生きるようになっていくことだろう。
そうやって自分の思考を観察し、常に幸せや心地よさに焦点を当て、それを味わっていけば、やがて望む現実を自分の力で創造できるようになっていく。
昨日のつぶやきで、次のようなことを書いた。
人間は、一度や二度くらい考え方を変えたくらいでは、目の前の現実を変えることはできない。
何度も何度も同じことを考え、感じて味わい、それを潜在意識に落とし込んでいくことで現実を変えていくことができるようになる。
我々は、幼い頃から無自覚に自分の思いを潜在意識に投げ込んで育ってきているため、そういった無自覚の思いの蓄積によって目の前の現実を生み出している。
幼い頃から無自覚に潜在意識に様々な思いを投げ込んできたものを、急に変化させるのは至難の業だ。
だからこそ、心を一つにして意図を持って何度も何度も自分にとっての幸せや心地よさの感覚を味わっていかなければならない。
十分な時間をとって、幸せや心地よさを味わう習慣をつくっていけば、少しづつ目の前の現実に変化を加えられるようになっていく。
人は、様々な感情を身体に記憶させている。
これまで身体に記憶させていった感情を見ていけば、その人の幸福度を測ることができるといってもいい。
自己肯定感が強く自分はできるんだという思いを持っている人は、プラスの感覚を自分の身体に何度も何度も記憶させている。
このため、人生を前向きにとらえることができ、現実をよくすることができている。
身体にプラスの感覚を浸透させていけば、身体は健康になっていくものであり、身体的な健康によって人は前向きな思考ができるようになる。
もちろん、こういったことは難しいことではない。
ちょっとしたことを継続していくことで、自分に自信を持たせることができ変化を起こすせるようになっていく。
僕は、毎日、書道をしていて、この一年半の間、上手になりたいという思いを持って実践してきたことで、始めた頃に比べると、だいぶ上手く書けるようになったと思っている。
字が上手に書けるようになったという感覚は身体の感覚であり、こういった身体感覚を得ることができるようになったからこそ、字が上手になったという考えを持てるようにうなった。
また、この2年間あまりnoteで文章を書き続け、その楽しさを味わってきたからこそ自信を得ることができ、これから先の未来に明るい展望を抱けるようになっている。
こういった感じで、自分と一致できることを継続していくことで、幸せや心地よさの感覚を身体に伝えながら、自分の現実を創造することができるようになるだろう。
そうなるためにも、まずは意識的に幸せの心地のよい感覚を何度も何度も身体に浸透させていく。
意識に対して意識的になり、これまで無意識的につくってきた潜在意識のあり方を書き換えていく。
思考や行動を通じて、幸せや心地よさの感覚を身体全体に染み込ませていけば、無理をすることなく真我の自分に戻れるようになっていく。
真我の自分に近づいていけばいくほど、気軽に創造を楽しめる自分になっていくことだろう。
我々は、思考する以上に感覚で生きている。
逆にいえば、感覚が思考を生み出しているといってもいいだろう。
身体の反応よって感覚が生まれ、その感覚が思考を生み出している。
意図して幸せの心地よい感覚を味わいながら、そういった感覚を丹念に身体に染み込ませてけば、日常生活を喜びを感じて生きていけるようになる。
我々は、習慣で生きている生命であり、習慣を変えれば生き方も変えることができるようになる。
現実を自分の感覚で創り出していけるということを知って理解できたなら、喜びの感覚を使って、自分の人生を創造していけるようになるだろう。
感覚が現実を創り出す。
善くも悪くも、この身体が磁石となっている。
何を考え何を感じるかで身体という磁石の質が決まり、その質に応じた現実を引き寄せることになる。
無自覚に生きている限り、幸せになることはできない。
意図を持って、その意図に応じた感覚を味わいながら、この今を生きる。
こういった今の積み重ねによって、自分の望む現実を生み出すことができるようになっていくことだろう。
この今をいかにして満足して生きられるようになるか。
こういった満足の積み重ねで、深みのある幸せを生み出していけるようになるのだ。
これからは感覚の時代になる。
日々の感覚を現実に落とし込むために思考を使うようになる。
感覚と思考の立場が逆転すると、社会のあり方も逆転していくことだろう。