仏像の「静」と「動」
十一月初旬に三泊四日で奈良へ行ってきた。
一日は奈良に住む職場の元同僚につき合ってもらい、ススキで有名な曽爾高原を散策した。
それ以外は、主として、ひとりで仏像を見て回ることに時間を費やした。
前回の投稿(十一面千手観音の想い出)から考えていたことがあった。
仏像には「静」と「動」の二種類があるのではないか、ということだ。
「京都・南山城の仏像」展で展示された仏像たちの中では、浄瑠璃寺の阿弥陀如来坐像が「静」の仏像の代表であり、海住山寺の十一面観音菩薩立像が「動」の仏像の代表である。
そんな印象を持った。
あくまで主観的な「印象」だ。
仏像を含む彫刻や絵画等の美術作品は、一般的には「静止」したモノであり、それ自体が動き出すことはないし、時間の流れとともに変化するということも(少なくとも目に見える時間の範囲内では)ない。
そのような意味で言えば、すべてが「静」である。
にもかかわらず、見る側が個々の仏像に「静」あるいは「動」という異なる印象や気配を感じとるとすれば、それはなぜなのだろう?
そんなことを考えながら仏像めぐりをした。
どうでもいいような話だけれど、いくつか実例を挙げながら、振り返ってみようと思う。
以下は、単純に「静」か「動」かという観点のみにこだわった仏像の分類に関する個人的な考察であり、仏教美術史上の種々の問題とは一切関係がない。そもそも、正直に言って、わたしは仏教美術に関するごく基本的な知識にすら疎い人間である(自慢することではないが)。
法華寺 十一面観音菩薩立像
国宝、木造、像高約1メートル、平安時代初期。
小ぶりで、造形としては素朴な、親しみ深いお姿は、今回見て回った中でも「動」の代表例と思える仏像だった。
「光明皇后が蓮池を渡る姿を写したもの」(法華寺公式サイト)と伝えられ、右手で衣の端をつまみあげ、右足をこころもち膝から上げて、親指を浮かせた姿勢は、まさにこれから歩き出しそうな風情だ。
海住山寺の十一面観音像を見てひそかに思いついた仮説、すなわち「左右非対称」のお姿であることが「動」を印象づける大きな要因ではないか、という仮説を裏づける実例であるように思った。
海龍王寺 十一面観音菩薩立像
重要文化財、木造、像高93センチメートル、鎌倉時代。
以前からとても好きな仏像だ。
鎌倉時代の仏像らしい、精巧緻密、優雅で気品のある、実に見事なお像だ。
左手に水瓶を持ち右手で印相を結ぶ姿勢は、厳密には左右対称ではない。
しかし、真っ直ぐに正面をみつめ、一分の隙もない均整の取れたお姿は、どこまでも気高く静謐な造形美であり、「静」を印象づける。
東大寺 盧舎那仏(大仏)
国宝、銅造、像高約15メートル、奈良(天平)時代。
重さ250トン、押しても引いても「てこ」でも動かない、まさに「不動」の銅像。
そんな思い込みに反して、ずいぶん久しぶりに拝観した奈良の大仏様は、意外にも「動」の仏像だった。
頭部をやや前傾し、両手で左右異なる印相(与願印と施無畏印)を結ぶお姿が、参拝する人々の声に耳を傾け、その想いに寄り添うように感じられるからだろうか? 見つめているうちに両手の指がいまにも厳かに動き出しそうな錯覚にとらわれるのだ。
これは鎌倉の大仏(高徳院の国宝銅造阿弥陀如来坐像)と比較してみると分かりやすい。
こちらは左右対称の印相(上品上生印というものらしい)で、どっしりと座しておられて「静」の印象が強い。
そうしてみると、やはり、左右の非対称性と「動」のイメージは、ある程度関連がありそうだ。
中宮寺 菩薩半跏像(伝如意輪観音)
国宝 木造 像高約90センチメートル 飛鳥時代
京都広隆寺の弥勒菩薩とともに半跏思惟像として知られる飛鳥仏の傑作である。
この美しいお像をあらためて拝観するに及び、わたしの独善的な左右対称性仮説はあえなく覆った。
「半跏像」であるので、当然その造形は、絶妙な両手の配置も含め、顕著な左右非対称性によって特徴づけられる。にもかかわらず、「思惟像」と呼ばれるとおり、そのお姿は深い思索のうちに沈潜しておられる。
となれば、典型的な「静」の仏像というべきだろう。
結局のところ、「静」か「動」かを印象づける決め手は、左右対称か否かということよりも、一定の持続する時間を仮定したときに、そのお像が静止し続けるのか、それともまさに動きはじめようとするのか(あるいはすでに動きつつあるのか)という二者択一に関して、見る者がどのように感じるか、なのだろう。
いずれにしろ、「静」であれ「動」であれ、仏像を含めた造形芸術においては時間が止まっている。
人間自身は決して時間を止めることができない。
しかし、人間が作ったこれらの作品は「止まった時間」を体現するものであり、移ろいゆく時間の中の一瞬を固定し、凝縮し、永遠へと昇華させる。
そこに、造形芸術作品がわたしたちを魅了してやまない力の源泉があるのではないだろうか?
薬師寺 聖観世音菩薩像
国宝 銅造 像高約190センチメートル 飛鳥時代
「白鳳の貴公子」の異名を持つ美しい銅像。こちらも昔から大好きな仏像である。
左手を上げ右手を下げる左右非対称の造形であるが、真っ直ぐに背筋を伸ばして正面を見据える端正なお姿は、どちらかと言えば「静」を印象づける。
薬師寺では、このお像とともに、薬師如来、日光・月光菩薩の薬師三尊像を決して見逃すことができない。いずれも見ごたえのある素晴らしい仏像たちだ。
これらの制作年代については奈良時代という説もあるようだが、いずれにしても、奈良遷都の前後という早い時期に、すでに日本の仏教美術は成熟の域に達していたことがうかがわれる。
この見飽きることのない観音菩薩像の前にたたずみながら、不意に背筋がふるえる思いがした。
千数百年という長い歴史をとおして、このお像は、いったいどれだけ多くの人々の眼差しを受け止めてきたことだろう?
それら何百万、何千万という眼差しに込められた、数知れぬ賛美や敬慕、あるいは崇拝や畏怖、あるいは切実な祈りといった想いが、長い年月の間にお香の匂いが染みつくように、このお像そのものに染みこみ、お像と一体になっているのではないか?
そのようなことを漠然と考えたときに、それらの無数の人々の声なき声がお像の身体から迫ってくるような感覚に襲われ、心が揺さぶられたのだ。
大げさに言えば、わたしたちは、仏像を見ることによって、同じお像を拝んできた過去の無数の人々と対話をしているのかもしれない。
そうしてみると、仏像は「時間を止める」ものでありながら、同時に過去と現在とをつなぐ、つまり「時間をつなぐ」ものでもあるのだ。
「時間を止めるものでありながら、同時に時間をつなぐものである」ということ。
おそらく、これは仏像に限ったことではなく、優れた美術作品に共通する偉大な特質なのだろう。
しかし、祈りの対象である仏教美術、ことに仏像において、この特質は、より強く見る者の眼差しを惹きつけ、過ぎ去った人々の魂と共鳴するような心の震えを引き起こすのだ。
そんな感慨に浸った。