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ドストエフスキーと『アンナ・カレーニナ』―『作家の日記』より⑩―

最も重大なる現代問題の一つ

『作家の日記』1877年2月号の「最も重大なる現代問題の一つ」という見出しに始まる一連の文章で、ドストエフスキーは、トルストイの『アンナ・カレーニナ』について論じている。

……一月ばかり前に、私は現代文学において想像もつかぬほど真剣な、きわめて特色のある一つの作品にぶつかったので、私は驚異の念をすら感じながら読了したほどである。なにぶんこれだけ大規模な、これだけ立派な作品に出会おうとは、久しい前からわが国の文学に期待していなかったのである。この作家――最も高い意味における芸術家であり、かつもっぱら小説家であるこの作家の近業の中で、私は本当の正しい「きわもの」にみちた三、四ページを発見した。――これこそわが現代ロシヤの政治的、社会的問題の中でも最も重要なものを、一点に凝集したかのような感じを与える。……(岩波文庫『作家の日記』(四)一八七七年二月、第二章。米川正夫訳)

その当時、『アンナ・カレーニナ』は雑誌『ロシア報知』に連載中であった。
『日記』の文章が書かれたのは、ドストエフスキーが同誌1877年1月号掲載分を読んだ直後であって、この時点で、『アンナ・カレーニナ』はまだ完結していない(小説の完結は同年4月である)。

ドストエフスキーは、「この小説を読みはじめたのは、もう久しい以前のこと」であり(連載は1875年に開始された。)、「初めの間は非常に気に入った」が、その後「全体としては、だんだん気に入り方が少なくなった」と述べている。

……これは、もうどこかで読んだことがあるような気がする、どこかというのはつまり、同じトルストイ伯の『幼年、少年時代』であり、また同じ人の『戦争と平和』であるが、これらの作品の方がむしろより新鮮であった、といったような感じがしてならなかった。もちろん主題こそ異なっているけれど、依然たるロシヤ貴族の家庭史である。……(同上)

そのようなドストエフスキーのやや辛口な評価を一変させたのが、アンナが不義の子を出産した後に重体に陥り、瀕死の病床で夫のカレーニンに赦しを乞い、いったんは感動的な和解が成立する場面(第四編)である。

……女主人公の死の場面(もっとも、後にまた全快するのだが)に逢着(ほうちゃく)した時、私は作者の目的の本質的な部分を完全に了解した。この浅薄な厚顔無恥な生活のまっただ中に、偉大な永久の生活的真実が現れて、一挙にしてすべてのものを照らし出したのである。これらの浅薄な、とるにたらぬ偽り多き人々が、ふいに自然の法則、――人間の死の法則というものの自然の力によって、人間という名に値する真実な、正直な人間になったのである。彼らを包んでいた殻は残りなく消え失せて、ただ誠実のみが見えてきたのだ。<中略> 憎悪と虚偽は、宥恕(ゆうじょ)と愛の言葉で語り始めた。鈍い世俗的な観念の代りに、ただ人間愛のみが現れたのである。一同は互いにゆるし合い、弁護し合った。階級性と排他性は忽然と消え去って、今では想像さえもできないものとなり、これらの紙細工の人間たちは本当の生きた人間に似通ってきた!……(同上)

もっとも、アンナと夫との和解は一時的なものにすぎず、アンナが健康を回復すると、やがて二人の決裂は決定的なものとなり、結局、アンナは家を出て、愛人のヴロンスキーとともに暮らすようになる。

だが、ドストエフスキーが『作家の日記』で議論の中心に据えている部分、すなわち冒頭で引用した「「きわもの」にみちた三、四ページ」とは、まったく別の場面を指す。

 その後、小説はまた長々とつづいていった。そして、最近、やや私の驚いたことには、第六篇にいたって、本当の意味の「きわもの」に相当する一場面に遭遇したのである。<中略> 私はどうやら本式に、批評の畑へ踏み込んで行くらしいが、これはわたしの任ではない、私はある一場面をさし示そうと思ったばかりである。そこには二人の人物が、目下われわれにとって最も特質的でありうるような面から、描き出されているにすぎないのだが、それだけにまたこの二個の人物が属している典型が作者によって、われわれの目から見て極めて興味深い観点におかれ、彼らの現代的社会的意義を展開しているのである。(同上)

ロシア貴族の二つの典型

これら二人の典型的な人物とは、ともに父祖の代からの貴族であり、古くからの友人どうしであるオブロンスキーとリョーヴィン(『作家の日記』では「レーヴィン」と表記されているため、紛らわしいが、引用部分では本文のまま「レーヴィン」と記す。)である。

オブロンスキーは、主人公のアンナの実の兄であり、義弟のカレーニンのコネを借りて、モスクワのある役所で長官の地位についている。リョーヴィンは、ふだんは田舎の領地に暮らし、農事経営に精を出している。二人は、それぞれ、シチェルバツキー公爵家の令嬢であるドリイとキチイの姉妹を妻としているため、姻戚関係にもある。

ドストエフスキーがさし示す場面とは、オブロンスキーが夏の休暇でリョーヴィンの領地を訪れ、もう一人の貴族の若者を含めた三人で鴫撃ち猟に出かけた折に、百姓家の納屋の乾草を寝床にして一夜を過ごす場面である。

『アンナ・カレーニナ』を読むと、狩猟というスポーツが当時の貴族階級にとって最高の楽しみの一つであったことが分かる。リョーヴィンが猟犬とともに獲物を追い詰める描写などは、緊迫した空気や興奮が生き生きと伝わってくる、臨場感にあふれた秀逸な場面である。

それはともかく、ドストエフスキーが特に注意を向けるのは、百姓家の納屋を舞台にオブロンスキーとリョーヴィンの間で展開される論争の方である。
議論のテーマは「貴族階級は自分たちが享受する特権にどのような態度をとるべきか」という問題だ。

発端は、リョーヴィンが、当時新たに勃興してきた鉄道成金について、利権の転売で不正に金もうけをしていると非難したことにある。
一方で、オブロンスキーは、これらの人間も勤労や知恵で金をもうけたのであり、決して不正とは言えないと反論する。
リョーヴィンは「そそがれた労力に相当しないいっさいの利得は不正である」と決めつける。
すると、オブロンスキーは、そうだとすれば、自分より実務に詳しい役所の課長より自分の方が多額の俸給をもらっていることや、リョーヴィンの農村経営による収入が百姓をはるかに上回ることも、ともに不正ということになるが、もし不正であるなら、なぜ、リョーヴィンは百姓に自分の領地を与えないのか、と詰め寄る。
リョーヴィンは、そのような不公正の是正について、自分は「消極的に」実行している、つまり、自分と百姓たちとの間の地位の相違を増大させないように努力している、と抗弁する。
オブロンスキーは、それは詭弁であるとしながら、「二つに一つさ、現在の社会組織を正当なものと認めて、自己の権利を守るか、それとも僕のやっているように、不正な特権を享受していると認めながら、喜んでそれを利用するかだ。」と言う。つまり、オブロンスキーは、自分が享受する特権が不正であると認めているのだ。
それに対して、リョーヴィンは、「もしもそれが不正なことだったら、君も喜んでその幸福を享楽することはできないはずだ。少なくとも僕にはできそうもないね、僕にとっては、自分に罪がないと感ずること、これが何より必要なんだ。」答える。

ロシアの未来を担う新人たち

ドストエフスキーはこのような対話の中に、「やくざ者」のオブロンスキーと「心の清い」リョーヴィンとの対比を見ている。
二人のうち、まずオブロンスキーに対するドストエフスキーの評価を、以下に本文から引用しよう。

……彼らの一人、スチーヴァ・オブロンスキイは、利己主義者で、洗練された享楽主義者で、モスクワの住人で、イギリス・クラブの会員である。こういう人々は、普通罪のない愛すべき蕩児(とうじ)と見られ、誰の邪魔もしない、機知に富んだ、至極いい気持ちで生活している、愉快なエゴイストと見なされている。こういった人たちには、しばしば大人数の家族がある。彼らは妻子に対して優しいけれど、あまりそれらのことを深くは考えない。軽はずみな女、といっても、むろん、しかるべき階級の婦人が大好きである。彼らは、さして教養はないけれども、優美なものや芸術を愛好して、あらゆる問題について会話を試みることが好きである。農奴解放令以来、この種の貴族はすぐさま事のなんたるやを解した。彼は胸算用をしたうえ、なんといっても自分には多少のものが残るから、なにも急に変える必要はない、と勘定する――Après moi le déluge(あとは野となれ山となれ)である。……(同上)
……つまり、本当のところ、彼は全ロシヤにも、自分の家族にも、わが子の将来にも有罪を宣告して、その宣告文に署名しながら、これは自分にとって無関係だと、ぬけぬけと広言しているわけである。……(同上)

ドストエフスキーは、オブロンスキーが貴族階級の「支配的タイプ」に属し、このタイプが「圧倒的多数を占めている」としつつ、それとは全く正反対のロシア貴族も存在し、それがまさにリョーヴィンであって、「レーヴィンはロシヤにうようよするほどいて、オブロンスキイとほとんどその数をひとしくしている」とまで述べる。

(Aという支配的グループが圧倒的多数を占めていて、その正反対のタイプであるBグループのメンバーも同じくらい多い、というのは論理的に矛盾しているが、このような明らかな誇張や論理矛盾と思われる議論は、『作家の日記』では、さして珍しいことではない。)

リョーヴィンについては、ドストエフスキーは次のように評価する。

……この特質を持った人々は、ほとんど病的なほど遮二無二、自分の疑問に対する答えを得ようとあせっている。彼らはほとんどなに一つ解決する腕がないくせに、かたく希望をいだき、熱烈に信じている。この特質は、スチーヴァに対するレーヴィンの答えの中に完全に表現されている。
 「いや、もしそれが不正なことだったら、君も喜んでその幸福を享楽することはできないはずだ。少なくとも、僕にはできそうもないね。僕にとっては、自分に罪がないと感じること、これが何より必要なんだ。」
 こうして、彼は、自分に罪があるかないかを解決するまでは、本当に落ち着くことができないのである。……(同上)
……真実を求め、条件的な虚偽のまじらない真実のみを必要とし、この真実を獲得するためには、断然いっさいのものを放棄しようとするこれらの新しい人々、これらの新しい根帶(こんたい)を形作るロシヤ人は実におびただしいものである。……(同上)

実際、リョーヴィンはオブロンスキーの指摘を引きずって、心の平穏を保つことができず、自分の領地を貧しい百姓たちに分け与えるべきではないかと悩むのである。

ドストエフスキーは、リョーヴィンとオブロンスキーとの対照に新旧のロシア社会を重ね合わせ、リョーヴィンに代表される「新人」が台頭するであろうロシアの未来に希望を託しているように思われる。

……私はロシヤの未来をになうところのこれらの新人を心の目に見、予感することができる。もはや彼らを見ないわけにはいかない。この過去のシニックであるスチーヴァを、新人レーヴィンと対立させたわが芸術家は、あたかもおのれの時代をおわった、淫蕩な、恐ろしいほど多数を占めている、しかし、われとわが身に自殺の宣告を下したロシヤの社会をば、新しい真実のロシヤに対照させたかのごとくである。この新しい社会は、自分に罪があるという確信を心にいだいていることができず、自分の心からその罪を洗い落とすためには、いかなる犠牲をも惜しまないのである。……(同上)

歴史的見解と道徳的見解

しかし、ドストエフスキーによれば「かの新人レーヴィンは、おのれを困惑させた疑問を解決する力がない」。そして、作者であるトルストイは、まさに、そのような能力の欠如を「最も特質的な、最もロシヤ的な徴候」として指摘したのだと述べる。

なぜ「解決する力がない」のか? 
ドストエフスキーは、その理由を、ロシア貴族が、思想のうえでも教育のうえでも「ヨーロッパ人」であることに見ている。

……わが二人の貴族はともにヨーロッパ人であって、ヨーロッパの権威から脱出することは、彼らにとって容易なわざではないのである。<中略> そこで、ロシヤ魂の所有者たるレーヴィンは、純ロシヤ的な、しかも唯一な可能な問題の解決を、ヨーロッパ的な問題のおき方と混合している。彼は、キリスト教的な解決を歴史的な「権利」の観念と混合しているのである。……(同上)

リョーヴィンの良心が直面する課題は、「権利」という歴史的な概念の問題として設定する限り決して解決には至らず、その解決を導くためには問題をキリスト教の文脈に中に置く必要がある、そのように、ドストエフスキーは主張しているように思われる。

さらに、道徳的見解と歴史的見解の性格が異なることを説明するために、ドストエフスキーは、ヨーロッパの支配階級が、自ら享受する私有財産や地位について、どのような見方をしているかについて論じている。

煩雑となるので、ドストエフスキーの議論を詳細にたどることは避けるが、中でも、とくに分かりやすく核心をついていると思われたのは、ヨーロッパのスチーヴァ(オブロンスキー)が、ロシアのスチーヴァとは異なり、自分を完全に正しいと認めている、という指摘だ。
つまり、ヨーロッパ諸国においては、ある時代にある階級が支配的地位にあり、富や特権を占有するのは歴史的な現象として必然なものであって、決して良心や道徳の問題ではない。
現在ブルジョアジーに搾取されているプロレタリアが、将来、権力を奪取して、ブルジョアジーを現在の地位から放り出すことも可能性としては予期しうることであるが、それは階級間の闘争の行方という歴史的な推移の問題であって、道徳的側面が入る余地はない。

ドストエフスキーの議論はかなり込み入っていて難しいのだが、部分的におおざっぱな要約をすれば、ヨーロッパにおける歴史認識をそのようなものと見なしたうえで、ドストエフスキーは、そうした問題の立て方に異議を唱えている。

……繰り返していう、われわれロシア人にとって何よりもやりきれないのは、唯一の可能なる問題の解決が(それはほかならぬロシヤ的解決であるが、単にロシヤ人のみのためでなく、全人類のための解決でもあるものだが)、――道徳的、すなわちキリスト教的な問題のおき方であるにもかかわらず、わが国ではレーヴィンのごとき人々すらも、この問題にむなしく頭をひねっていることである。ヨーロッパではこういう問題のおき方は夢想だにできない。とはいえ、あちらでも、遅かれ早かれ、血の河を流し、一億の首をはねた後に、必ずそれを認めねばならなくなるのだ。なぜなら、その中にのみ解決の道があるからである。(同上)

問題のキリスト教的解決

では、ドストエフスキーが考えるキリスト教的な「解決の道」とは、どんなものであろうか?

ドストエフスキーは、貴族階級が自らに与えられた特権に悩むのであれば、そして、心がそのように命ずるならば、財産を貧しい人々に与えるなり、公共の目的に寄付するなりしたうえで、万人のための労働におもむけば良い、と述べる。
その一方で、「是が非でも財産を分与しなければならぬという道理」があるわけではなく、そのような強制は傲慢と形式主義に堕する、とも言う。

……もし学者としての活動が万人に有益であると感じたら、よろしく大学へおもむくべきで、それに要する資金を残すがよい。財産を分与したり、そでなし外套を着たりなどするのは、必須なことではない。それらはすべて杓子定規(しゃくしじょうぎ)であり、形式主義にすぎない。必須であり重要であるのは、自分が誠心誠意、おのれにとってなしうるとみとめたこと、自分にとって可能なすべてのことを、実行的愛のために行わんとする諸君の決意一つである。「単純化」しようといういっさいの努力は、民衆にとっては礼を失し、かつ自らを侮辱する単なる仮装にすぎない。諸君は「単純化」すべくあまりに「複雑」であり、また諸君の教養も百姓になることを許さないだろう。それより、むしろ百姓を自分の「複雑性」にまで高めるべきである。ただ真実で虚心坦懐(きょしんたんかい)であればよいので、それこそいかなる単純化にもまさるのである。(同上)

ドストエフスキーは、上の引用で学者として活動するという選択肢を例に挙げるが、それを除けば、ほとんど具体的なことは何も言わない。ただ、虚心坦懐に真実の声に耳を傾け、おのれの心が命ずるままに可能なことを行えばよい、と言うのみである。
解決のための定型的な道筋や務めがあるのではなく、人それぞれできることは異なるのであって、大事なのは、それぞれが自分に対して嘘をつかず、真摯に正しい道を求めることだ、と言いたいように思える。

ドストエフスキーは、繰り返し、「未来の人間」への信頼を表明する。

……私はすでに前に述べたわが未来の人間、すでに萌芽を示しはじめた人間を限りなく信じている。彼らは目下のところ、まだ完全に融和せず、その確信において雑多の集団や陣営に分かれてはいるものの、そのかわり、みんなが何よりもまず第一に真実を求めている。もしそれがどこにあるかを知ったなら、その獲得のためにはすべてのもの、生命さえも犠牲にすることを辞さないだろう。誓っていうが、彼らが真の道に踏み入ったら、ついにそれを見いだしたなら、彼らは暴力でなく自由な態度で、万人を自分たちの運動に巻き込むに相違ない。つまり、これこそわが国の「処女地」を開拓しうる鋤(すき)である。……(同上)

ところが、今のところ、「現代の新人」であるリョービンには問題を解決する能力はないのであって、その理由は、彼らがヨーロッパ的な「問題のおき方」に囚われているからである。

……われわれははなはだしく堕落しており、はなはだしく狭量であるために、信ずることができないで、嘲笑している。しかし、今の問題はほとんどわれわれでなく、未来の人々にかかっているのだ。民衆は純真な心を持っているけれども、教養が必要である。しかし、純真な心を持っている人々は、われわれの周囲にも擡頭するだろう、――これこそ最も重大なことである!(同上)

ドストエフスキーの結論としては、社会的不正の是正のためには、キリスト教的な「問題のおき方」を信じることができる「純真さ」と「教養」が必要であり、それらを体現する未来の人々が解決の道筋を見いだすに違いない、ということらしい。

ヨーロッパにおいては、社会の不平等は、歴史的な権利の問題と捉えられ、階級間の闘争や妥協によって決着が図られようとするのに対して、ロシアでは、それは階級間の連帯と結合によって克服することが予定されているのであり、それこそが真の解決の道筋である。
そのような考え方は、いかにもドストエフスキー的なものである。

リョーヴィンにもたらされた啓示

ここで取り上げた『作家の日記』の文章が書かれた時点では未だ読むことができなかった『アンナ・カレーニナ』の結末において、主人公のアンナは鉄道自殺により非業の死を遂げる。

一方、もう一人の主人公であるリョーヴィンは、キチイという最愛の伴侶を得て幸福な家庭生活を送りつつ、内心においては、自己の存在の根源にかかわる危機を抱えていた。彼は、自分がなにものであって、なんのために生きているのかが分からずに絶望に陥っていた。

リョーヴィンは、すでに久しい以前から、キリスト教の信仰を時代遅れのものとして否定していた。
ところが、兄の死や妻の出産という生命の神秘を間近に体験し、それらに直面せねばならなくなった時に、リョーヴィンは自分の知識がいっさい役に立たぬものであることを思い知った。
それどころか、妻のキチイが命がけで痛みと闘っている分娩の最中には、リョーヴィンは、ただ神に祈ることしかできなかった。

「もし自分の生命の問題に対してキリスト教が与える解答を拒むとしたら、ほかにどのような解答がありうるのか?」
そのような疑問の答えを求めてリョーヴィンは西洋の古今の哲学者の著作を読みあさるのだが、なにひとつ満足できる答えを見いだすことができない。

そんなリョーヴィンに、あるとき突然、領地の百姓の一人とのなにげない会話をきっかけとして、重大な精神的な転機がもたらされる。

百姓は、ある老人について「正直に、神さまの掟どおりに生きている」と評しただけなのだが、この言葉がリョーヴィンを捕え、彼の心に何か新しいものが芽生え始めるのである。

 いまや彼(リョーヴィン)には、自分がこれまで生きて来られたのは、自分をはぐくんでくれた信仰のおかげにほかならないことが、明らかになった。
≪もしおれがこの信仰をもたないで、自分の欲のためでなく、神のために生きなくてはならぬということを知らなかったら、おれはいったいどんな人間になっていただろう、どんな生活を送っていただろう? 泥棒を働いたり、うそをついたり、人殺しをやったりしたかもしれない。今のおれの生活で、おもな喜びとなっているものなど、なにひとつなかったに違いない≫……(新潮文庫『アンナ・カレーニナ』下巻、第八編。木村浩訳)
≪おれは、自分の疑問に対する解答を捜しもとめた。が、思索はその疑問に対する解答を与えてはくれなかった――その思索は疑問とは共通点をもたないものだったのだ。この解答を与えてくれたのは、生活そのものであって、なにが善であり、なにが悪であるかというおれの知識の中に啓示されたのだ。しかも、この知識は、おれがなにものかによって得たものではなく、すべての人びとと同じくおれに授けられたものなのだ。つまり、おれが、どこからも手に入れることができなかったからこそ授けられたのだ。……≫(同上。強調は、本文では傍点による)」

リョーヴィンは、自分の生命を支えていたものは神への信仰にほかならなかったこと、そして、自分が探し求めていた解答は、すでに生活そのものの中に、善悪の判断基準として啓示されていたのだということに気づく。

≪おれは、魂の平安を授けてくれる、あの百姓と共通の喜ばしい知識をどこから手に入れたのだろう? どこからおれはそれを取って来たのだろう? キリスト教徒として、神という観念で育てられてきたおれは、キリスト教のもたらす精神的恩恵によって全生活を満たし、自分の存在のすべてをその恩恵に満たされて生きながら、まるで子供のようになにもわからず、自分を生かしてくれるものを破壊している。いや、破壊しようとしているのだ。ところが、人生における重大な危機が訪れるやいなや、寒さと飢えに苦しむ子供のように、おれは急に神のほうへ顔を向けるのだ。<中略>
そうだ、おれの知っていることは、理性で知ったものじゃなくて、おれに与えられたものなのだ。おれに啓示されたものなのだ。おれはこれを心で知ったのだ。教会で教えている主要なものに対する信仰で知ったのだ。≫(同上)

教会の教える各信条は「欲望のかわりに、真理に奉仕するという信仰」に合致するものであり、そして、それらは、貴族も民衆も分け隔てなく「われわれがそのためにのみ生きていく値打ちがあり、それだけを尊重すべきである霊の生活」を築いていくために必要欠くべからざるものである、そのように、リョーヴィンは考える。
こうして、リョーヴィンは信仰を取り戻すのである。

中途半端な結末

『アンナ・カレーニナ』という大長編小説は、次のようなリョーヴィンの独白で幕を閉じる。

≪……これが信仰か、信仰でないかは、おれにもわからないが、しかしこの感情は、やっぱり知らずしらずのうちに、苦しみといっしょに、おれの魂の中へ入りこんできて、そこにしっかり根をおろしてしまったんだ。これからもおれは相変らず、御者のイワンに腹を立てたり、相変らず、議論をしたり、とんでもないときに自分の思想を表明したりするだろう。いや、相変らず、おれの魂の聖なるものと他人の魂とのあいだには、たとえそれが妻の魂であっても、きっと、壁があるだろう。そして相変らず、おれは自分の恐怖のために妻を責めたり、すぐまたそれを後悔したりするだろう。いや、相変らず、自分が何のために祈るかわからないまま、祈りつづけていくだろう――しかしいまやこのおれの生活は、おれの生活全体は、おれにどんなことが起ろうといっさいおかまいなしに、その一分一分が、以前のように無意味でないばかりか、疑いもなく善の意義をもっていて、おれはそれを自分の生活に与えることができるのだ!≫(同上)

「中途半端な結末」という見出しは、上のような小説の末尾の文章を指すものではなく、私自身のこの長たらしい投稿の結末を意味するものだ。

というのは、ドストエフスキーは、『アンナ・カレーニナ』の完成後に、『作家の日記』1877年7月・8月号で、再び多くの紙数を割いて、この長編小説について論じるのだが、ここでは、それらの議論についてはいっさい言及することができないためである。(実は、筆者はそれらの文章をまだ読んでいない。)

ドストエフスキーが、『アンナ・カレーニナ』の結末をどのように評価したかについては、いずれじっくりと検討しなくてはならない。

しかし、その最終的な評価がどのようなものであるかにかかわりなく、私は、今回取り上げた文章でドストエフスキーが描いた未来のリョーヴィンのあるべき姿と、リョーヴィンが小説の結末でようやく到達した思想とが、見事に呼応しているように思えてならない。

ドストエフスキーは、社会的な矛盾の解決のために、キリスト教的な問題の立て方をすべきであり、未来のロシアの知識人は、おのれの心の真実の声に従って、虚心坦懐になしうることを行うべきである、という行動規範を示した。

リョーヴィンは、最終的に、キリスト教の信仰へと立ち戻り、真実は、すでに生活そのものの中にあり、健全な善悪の判断基準として育まれていたことに気づく。

ドストエフスキー流に言えば、リョーヴィンは、ついにヨーロッパの悪しき呪縛から解き放たれたのだ、ということになるかもしれない。

リョーヴィンのモデルが作者のトルストイ自身であることは定説となっているが、そうだとすれば、『作家の日記』1877年2月号の文章と『アンナ・カレーニナ』の結末との間の上のような呼応関係は、ドストエフスキーとトルストイの両者に、(たとえ部分的であるにせよ)思想上、相通ずるものがあったことを示唆しているように思える。
(そんなことは言うまでもないと言われるかもしれないが……。)

過剰な観念と感情に憑りつかれた人物が激情的に非日常のドラマを展開するドストエフスキーの世界と、より時代や階級の現実に即した日常生活の細部を丹念に緻密に描き出すトルストイの世界、この全く対照的と思える二つの世界の間の親縁性!

それは、きっと、これらの二人の天才が、同時代の同じ国に生きていた証しなのだ。そのような奇跡に、あらためて想いを致さずにはいられない。

※画像は、ロシアの画家イリヤ・レーピンの「レフ・トルストイの肖像」(部分、1887)

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