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神田川を半分歩きました。

梅雨前なのに堪えがたい猛暑の日々の合間、たまたま気温もさほど上がらず比較的過ごしやすかった6月某日、東京の地形に詳しい元職場の友人Mさんと神田川を歩いた。

Mさんとは、4月に隅田川(両国橋から上流部分、約8キロ)、5月に目黒川(全長約8キロ)を歩いていて、今回が3回目の川歩きだ。

神田川は井の頭公園の池を源流として東京都心を横断し隅田川に合流する全長約25キロ、東京都屈指の「長い」川だ。
一日で歩きとおすのはきついので、今回は源流から東中野までの西半分約12キロを歩きましょう、となった。

午後2時に吉祥寺駅公園口改札で待ち合わせだったのだけれど、わたしが勝手に井の頭公園駅改札集合と勘違いして井の頭線を途中下車したため、集合時間に遅れてしまった。
事前にMさんが送ってくれた計画概要のメモには「JR中央線吉祥寺駅 南改札(公園口)集合」とはっきり書いてあるのに、まったく思い込みとは怖いものだ(反省)。

そんなこんなで14時25分に井の頭公園の源流をスタート。

井の頭公園内の神田川源流

川は三鷹台、久我山、高井戸と井の頭線に沿うように蛇行しつつ東へ流れ、永福町駅を過ぎたあたりで井の頭線線路の直下をくぐって北上し、環状七号線を横切ってしばらく行くと善福寺ぜんぷくじ川が合流する。
その後、いったん東に向きを変え、中野区と新宿区の境界をさらに北上して、青梅街道を過ぎ、中央線の高架をくぐって東中野の小滝橋に18時30分到着。
休憩を含み、所要時間約4時間だった。

この日のハイライトは「環状七号線地下調節池と神田川取水施設」となった。

環状七号を横断する手前で、Mさんがやや興奮気味で叫んだ。「SATOSHIさん、調整池の取水口です!」

取水口がぽっかりと空いている。右上の建物が神田川取水施設

見ると川が大きく蛇行するポイントで、その内側の壁一面がぽっかりと空洞になっている。豪雨等で川の水位が高まり氾濫の危険が迫る際に、大量の水を地下の貯水池へと引き込むための取水口である。

環状七号線上に大きな看板が

Mさんによれば神田川の調節池は平成17年の杉並区の水害の際にも重要な役割を果たしたらしい。

平成17年? 杉並の水害? まったく覚えていない。

帰宅後に平成17年の水害と神田川の調節池について調べてみた。

2005(平成17)年9月4日夕から5日未明にかけて、台風14号の影響を受けて首都圏で雨雲が急速に発達し、東京都と埼玉県では局地的に1時間100ミリを超える猛烈な雨が降った。
杉並区の雨量計で観測されたこの間の総雨量は、下井草で246ミリ、久我山で240ミリであった。
杉並区の広報誌によれば、この集中豪雨による被害は「床上浸水が1,107件、床下浸水が646件、土間上浸水が413件あり、戦後2番目の被害だった」ようだ。

なぜ、杉並区に被害が集中したのか? その理由は、杉並区には妙正寺みょうしょうじ川、善福寺川、神田川の3つの都市河川が流れているからだ。妙正寺川も善福寺川と同じく神田川の支流である(ただし、この水害の際に妙正寺川が氾濫した地点は中野区であったようだ)。

これらの河川は歴史的にたびたび氾濫を繰り返してきたが、東京都区部への人口の集中に伴いひとたび氾濫すれば甚大な浸水被害が発生するようになった。

そうした水害対策の切り札となるのが大規模貯水池である。

今回の川歩きでわたしたちが目撃した「環状七号線地下調節池」はその代表的なものだ。
同調節池は、環状七号線の直下深さ約40メートルに、直径12.5メートルの地下トンネルを長さ4.5キロメートルにわたって建設し、増水時に河川から取水した水を貯めこむものである。

神田川・環状七号線地下調節池の内部
(東京都建設局ウェブサイト)


神田川取水施設のほかに、善福寺川と妙正寺川にもそれぞれ一か所ずつ取水口があり、総貯留量は54万立方メートル(25メートルプール1,800杯分)、二十年近い歳月をかけて工事が行われ、平成19年度に完成した。

平成17年の水害時には、すでに供用を開始していた第一期工事区間24万立方メートル分では足りず、緊急措置として未完成の第二期工事区間のうち18万立方メートル分も使用して計42万立方メートルを取水したとされる。

完成後も集中豪雨のたびに取水、貯留を繰り返し、平成25年の台風18号の際には流入実績が54万立方メートルと上限に達している。

他の河川も含めた東京都の調節池の一覧は東京都建設局のサイトで確認できる。
まだまだ万全とはいえない状況であり、このため現在も調節池が続々と整備されている。
なかでも環状七号線地下広域調節池(石神井川区間)は、上記神田川・環状七号線地下調節池と白子川地下調節池を連結するもので、完成すれば、三つの貯水池を合わせて約143万立方メートルの貯水量が確保できるとのことだ。

赤い部分が整備中の石神井川区間
(環状七号線地下広域調節池(石神井川区間)工事ウェブサイト)

神田川では、ほかにも下高井戸公園内に地下箱式調節池(約3万立方メートル)を整備中であり、実際に今回の川歩きの途上でその工事状況を目にする機会があった。

自分の住む東京でこれほどの規模の防災事業が着々と実施されていたことを、わたしはまったく知らなかった。驚嘆すると同時に自分自身の無知に呆れてしまった。

ここで立ち止まって愚考してみた。

これらの治水事業を大規模に展開しなければならないのは、それだけ東京が水害に対して脆弱な都市であるということだ。
その脆弱性の理由は、東京一極集中の過程で河川流域が急速に開発されて市街地化が進み、地面がアスファルトやコンクリートで広くおおわれてしまったためである。
大雨が降れば、地中に染み込むことができなくなった水は川に流れ込むしかない。そうして瞬く間に川は増水してしまう。

とすれば、東京都において大規模な水害対策が必要な状況を生み出した者は他ならぬ東京都民(都市計画の主体である行政や開発業者、わたし自身を含む流入者等々)ということになる。
つまり自業自得である。
当然のことだが、調節池に貯めこんだ水は、川の水位が低下すればポンプでくみ上げてまた川に排水し、次の増水に備えなければならない。そのために費やすエネルギー(電力量)も相当なものではないだろうか。

人間というのはつくづく不思議なものだ。
自ら困難な課題をつくりだし、その解決のために、途方もない努力で技術開発を行い、それを実装化し、巨大な事業を成し遂げてしまう。

自業自得。
考えてみれば、人間というものはわざわざ必要を生み出し、それに迫られて創意工夫を重ねることで文明を発展させてきたように思う。
そもそも「文明」の本質にはそうした一面があるのではないか。
たとえば再生可能エネルギーや水素の開発、二酸化炭素吸収・貯留技術といった温暖化対策も同じことではないだろうか。

自ら生み出す課題がついに「解決不能」なほど困難で巨大になったとき、人間は破滅の道を歩むのかもしれない。
あるいは現在すでにその途上にいるのかもしれない。

調節池の話から飛躍して、少しばかり大風呂敷を広げてしまったようだ。

神田川歩きの前半戦は、ほかにも、久我山で寄り道して玉川上水を見に行ったり、終点間近でかぐや姫の名曲「神田川」の碑を記念撮影したりと、Mさんのおかげで充実したウォーキングとなった。

久我山の市街を少し歩くと玉川上水があった。
神田川歌碑(中野区中央一丁目)

これまで知らずにいた東京の一面を実地に学びつつ、体力維持や健康増進にも役立ち、まったく言うことはない……

一点だけ困ったことは、毎回打ち上げと称してMさんと二人でついつい飲み過ぎてしまうことだ。飲み過ぎは健康によろしくない。
「分かっちゃいるけど、やめられない」のだ。


《参照したサイト等》

https://www.city.suginami.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/013/137/tsg_suigai_tsk_5.pdf(杉並区)

https://www.jsce.or.jp/journal/jikosaigai/20051105.pdf(土木学会誌)

https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000050112.pdf(東京都建設局)

https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000047149.pdf(東京都建設局)

東京 神田川 都心部流れ過去何度も氾濫 命を守る3つのポイント | NHK


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