#80 原敬と古河財閥 その2【宮沢賢治とエミリィ・ディキンスン その18】
(続き)
○ 原敬と古河財閥 その2
佐藤昌介と新渡戸稲造のアメリカ留学時の知人だったウィルソンは、原が首相、新渡戸が国際連盟事務次長の時のアメリカ大統領でもあり、原や新渡戸と共に第一世界大戦後の国際協調の中で活躍した人物です。
当時の複雑な国際情勢の中で、原は親米派だったと言われていますが、原に対して、佐藤や新渡戸とウィルソンの友情が、どのような影響を及ぼしていたのかについても興味深いものがあります。
だいぶ話が離れてしまい申し訳ありませんが、もう少しだけ余談を続けます。
これまでに何度か登場する古河財閥を築いた古河市兵衛は、旧南部藩の大商人だった小野家から独立した人物で、旧南部藩ネットワークの人物でもあります。
市兵衛は、旧幕府側である紀州・和歌山出身の陸奥宗光を支援し、陸奥の死後、陸奥の後継者的な原を支援したとも言われ、鉱山開発によって得られた莫大な富が、その資金源でした。市兵衛は、足尾銅山をはじめ、国内の様々な鉱山経営を成功させます。
宮沢賢治が生まれた岩手、旧南部藩にも数々の鉱山があり、岩手・平泉の黄金文化を支えたのも、金や鉄などの鉱山資源です。また、陸奥宗光が生まれた紀州には「熊野」地域があり、その熊野にも数々の鉱山があります。
鉱山労働者達は技術や経験を武器として、日本各地を渡り歩く特殊技能集団で、東北を含む岩手などとつながりがあったとも言われています。
熊野は、熊野三社や熊野古道に代表されるような宗教的なエリアで、山岳信仰や修験道などのルーツ的な聖地でもあります。賢治が暮らした花巻エリアの山岳信仰の聖地・早池峰も、熊野とのつながりが予想され、岩手は熊野神社が多い県の1つです。
陸奥や原、古河、そして紀州や南部のつながりも気になりますが、何より賢治が無類の「石」好きであったことや、石と信仰が結びついていることが単なる偶然なのか、気になります。
また、賢治と同時代の知の巨人・南方熊楠も熊野の人であることや、日光、出羽など山岳信仰の聖地の近くには古河が開発した鉱山があることなど、気になるテーマは脈絡もなく溢れますが、この辺で止めます。
賢治に限らず、同じ時代を生きていた岩手ゆかりの人々が、様々な場面で結びついているのは大変に興味深く、一見すると岩手で孤独に作品を生み出していたように見える賢治にも、何らかの影響を与えていたのではないか、とも思われます。しかも、日本国内や、或いは世界でも大きな力を持っていた人々が、賢治にとって思いのほか近い存在であったことは、賢治作品の成り立ちを考える上では、意外と重要なことに思えるのです。
(続く)
2023(令和5)年10月19日(木)
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