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岩手の賢治?賢治の岩手?(5)【宮沢賢治の風景と、新渡戸稲造・原敬・佐藤昌介達の時代(19)】[#49]

 いつの頃からか、「なぜ岩手から、宮沢賢治を生み出すことができたのか?」という疑問が、頭の中でモヤモヤとしていた気がします。その答えを、真面目に一生懸命探していた訳でもなかったので、そのモヤモヤが晴れることはありませんでした。

 逆に、「岩手が賢治を生み出した理由」ではなく、「岩手の風土が賢治を苦しめた」的な話は、比較的よく目にします。

 例えば、「羅須地人協会」の活動に対して否定的だった周囲の人々、賢治作品を理解できなかった周囲の人々(岩手に限らないかもしれませんが)、等々、そのような話はいろいろとあります。

 なんと言っても、死後100年近く経った今も絶大な人気を誇る「宮沢賢治」が、生前ほとんど評価されなかったという点だけでも、「岩手は何やってるんだ」という話にもなりがちなのです。

2022(令和4)年11月16日(水)

(続く)

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