賢治作品と外国文学・思想【なぜ宮沢賢治は岩手から生まれたのか?(10)】[#28]

 私は、同じ時期にエミリィ・ディキンスンと宮沢賢治を読解する必要が生じ、その両者の難解さに頭を抱えていました。しかし、その両者の難解さには、共通する面があるように思われ、実際に、エミリィへの理解が進む事が、賢治への疑問のヒントにつながり、また、その逆もありました。その事が、賢治とエミリィの共通性を探し始めるきっかけとなりました。そして、今までにご説明した通り、アマースト・クラーク博士・内村鑑三・新渡戸稲造・佐藤昌介・花巻等はそれぞれにつながっています。また、エミリィの死後にエミリィを一躍有名な存在にした女性 メイベル・トッドは、日食観測隊に同行して北海道を訪れ、メイベルが札幌に滞在した際に、新渡戸の案内で札幌を巡っています。
 エミリィが住む家の隣にあった、エミリィの兄オースティンの家は、文化人たちが集まるサロンとなっており、アメリカの哲学者として著名なエマーソンも、エミリィの生前の1857年にこのサロンに招かれ宿泊しました。エマーソンは、賢治が盛岡中学時代に読んでいたとされ、賢治の妹トシも、『エマーソン論文集 上巻』を日本女子大在学中に読んだと言われています。
 もしかすると、私が賢治とエミリィに対して感じた共通性は、これらのことも影響しているのかもしれませんが、賢治とエミリィの関係はまだよくわかりません。同じように、賢治作品と外国文学や思想との関連は不明な場合が多く、賢治作品の成り立ちを考える上で、様々な興味深いテーマが残されています。

2022(令和4)年10月20日(木)

(続く)

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