#197 明治維新と世界大戦に消えた日本の信仰【宮沢賢治とシャーマンと山 その70】
(続き)
そしてまた、賢治の信仰や思想に対する強い興味や関心を十二分に満たすだけのバラエティーに富んだ信仰の世界が、賢治が生きた時代には存在していたとも思われる。
現代は、第二次世界対戦の敗戦による国家神道の抹消と、明治維新による神仏習合の抹消を経て、日本において長きにわたって続いた信仰の形がほとんど見えなくなっている。
しかし、一見すると表面から消滅しながらも、それらの信仰の形は依然として日本人の根底に生き続け、特にも神仏習合は、日本人にとって千年以上続いた、日本を特徴づける信仰や思想の形であるようにも見える。
賢治や政次郎の時代は、維新政府が抹消しようとしたにも関わらず、神仏習合の名残りは簡単に消えることはなく、逆に揺り戻しも経て、未だにその香りが色濃く残っていたのではないか。1874年生まれの政次郎は、明治維新による1868年に始まった神仏分離が推し進められる中で成長し、その混乱過程を幼少期から体験していたのかもしれない。
消えつつあった神仏習合と、新たに国家の柱となるべく整備が進められた国家神道。維新の開国による海外からの新たな思想の大量の流入。その海外でも、それまでのカトリックの世界から、宗教改革以降新たな信仰の形が生まれ、その流れは続いていた。そういった国内外の状況の中で、思想や信仰に対して全方向にアンテナを張っていた賢治の精神世界が、現代では想像できないほどの拡がりと深みを持っていたとしても不思議ではない。
【写真は、花巻市の宮沢賢治童話村】
(続く)
2024(令和6)年10月28日(月)