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楢山佐渡と旧南部藩の次世代のリーダー達【なぜ宮沢賢治は岩手から生まれたのか?(2)】[#17]

 宮沢賢治が生まれた明治29年は、戊辰戦争での南部藩敗戦の責任により、戊辰戦争時の南部藩の責任者の一人だった楢山佐渡が亡くなった明治2年から27年後です。賢治と、南部藩や明治維新とはあまり結びつきませんが、例えば、2022年の現在から27年前の1995年と言えば、阪神・淡路大震災の年であり、現代的な感覚で見ても同時代の中にあると言えます。
 岩手の明治は戊辰戦争の敗戦から始まり、敗戦により、賊軍となった南部藩そして現在の岩手の苦難が始まります。
 後に平民宰相となった原敬、後に北海道帝国大学の総長を長きにわたって務めた佐藤昌介、後に国際連盟事務次長となった新渡戸稲造は、それぞれが旧南部藩と深い関わりを持つ家から出た人々です。三者ともクリスチャンで、外国語習得を契機に、明治という時代の中で存在感を高めました。それぞれ海外への留学も果たし、明治期の海外交流拡大の中で、外国語の習得が大きな武器となったことは想像に難くなく、また、その習得にとってクリスチャンであることは大きな役割を果たしたと推察されます。

2022(令和4)年10月9日(日)

(続く)

【写真は、月夜のでんしんばしら(@童話村)】

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