見出し画像

新渡戸稲造の命日(2)【なぜ宮沢賢治は岩手から生まれたのか? 雑記2】[#24]

 今日10月16日は新渡戸稲造の命日です。新渡戸は、1933(昭和8)年に、カナダのビクトリア市で72年の生涯を閉じました。亡くなったのは、現地カナダの日付で10月15日ですが、日本時間では16日が命日に当たります。

 晩年の新渡戸は、国際社会から孤立し、戦争に向けて突き進む日本の中で、日本と世界を結ぶ架け橋として、残り少ない命の中で世界や日本国内をまわります。ただ、その命をかけた努力が実を結ぶことは少なく、当時のアメリカの大統領だったフーヴァーは「年老いたあわれなニトベ」と同情したと言われています。

 亡くなった後に新渡戸の遺体が解剖された時には、「よくこの身体で活動していた」と言われるほど、死の直前まで社会のために尽くしながら、世界平和を目にすることなく亡くなりました。

 このような新渡戸稲造の死から、私達は何を感じとればよいのでしょうか?それは、聖人のような生き方の理想かもしれませんし、社会に貢献することの無力さかもしれません。どちらにしても、新渡戸の一生は、私達にとって何かを考えさせ、時に、勇気も与えてくれます。


2022(令和4)年10月16日(日)

(続く)

【写真は、10月16日に盛岡で行われた新渡戸稲造博士命日祭の様子】

#宮沢賢治 #新渡戸稲造 #原敬 #佐藤昌介 #内村鑑三 #斎藤宗次郎 #後藤新平 #斎藤実 #ディキンスン #岩手 #花巻 #札幌 #北海道 #北大 #盛岡 #北海道大学 #札幌農学校

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?