新渡戸稲造の命日(1)【なぜ宮沢賢治は岩手から生まれたのか? 雑記1】[#23]
今日10月15日は新渡戸稲造の命日です。新渡戸は、1933(昭和8)年に、カナダのビクトリア市で72年の生涯を閉じました。命日にちなみ、「なぜ宮沢賢治は岩手から生まれたのか?」から脱線し、賢治と同じく花巻にゆかりの深い新渡戸稲造の最晩年をたどっていきたいと思います。なお、10月15日は亡くなったカナダの日付のため、日本時間では16日が命日に当たります。
新渡戸の病床での最後の言葉は、
「まだ、死ぬわけにはいかない。祖国への奉仕が終わるまで、死ぬわけにはいかない。」
だったとも伝えられています。
この言葉からは、亡くなる前の新渡戸の無念さが感じられます。それは、日本や世界が世界戦争へ向けて進んでいるという予感を感じているための無念さでしょうか。実際、新渡戸の死後数年間は平和が続いたものの、その後の日本は、1945(昭和20)年の敗戦に至るまで、戦争への道を進んでいきます。
亡くなる年の夏、平和への貢献を目指しカナダへ出発する前の新渡戸は友人に対し、
「もういやになった」
との弱気な言葉を残したとも言われます。生涯を通して、世界や日本の平和を願い、実際に行動しながら社会のために尽くしてきた新渡戸の言葉と思うと、何か辛い気持ちになります。
2022(令和4)年10月15日(土)
(続く)
【写真は、盛岡の新渡戸稲造像】
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