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#124 宮沢賢治と大谷翔平(13)

(続き)

宮沢賢治は裕福な商家に生まれたこともあってか、自らの富を蓄えることに興味を持たず、逆に、富を蓄えることに嫌悪感を覚え、「世界がぜんたい幸福」になることを心から望みました。文学者としての名声も、強くは望んでいなかったように見えます。

亡くなった直後から賢治の名声が高まったことを考えると、生前から賢治が名声を得ていた可能性は十分にあります。ただ、賢治自身が名声を第一義とせず、より良い作品をより多く生み出す事に注力したからこそ、流行に左右されない多くの名作が残されたとも言えるのではないでしょうか。

賢治は生前に文学者としての成功を手にすることはできなかったものの、死後100年近くにわたって愛され続けてきたました。賢治と同時代の文学者達と比較しても、結果的に大きな成功を手にしたと言えます。

大谷翔平は、現役の今、既に巨万の富を手に入れつつあります。しかし、金銭への執着のなさや、年棒が大きく下がることを意に介さず渡米したのは有名な話です。大谷が年棒を気にしてMLBへの挑戦を遅らせたならば、これほどまでの名声や富を手にしなかった可能性は高いと思われます。

エマーソンなどのニューソート思想は、現在では巨万の富や名声を得るための成功哲学のような側面がありますが、本来は、既存の宗教に代わる、人間の新たな思想や生き方として、自分を信じ、自らの能力を極限にまで高めることに、その本来の意味があったと思われます。

賢治や大谷の成功の理由の全てが、ニューソート的な考え方を原因とするものではないものの、成功のためには、極限まで自らの能力を高めるという考え方は重要な要因となり得るものです。そのような努力なしに得られた成功は、単なる幸運にすぎず、その成功が人の心を打つこともないのではないでしょうか。

賢治と大谷の、富や名声を求めずして得られた成功には共通性が感じられ、その共通性がエマーソン的な思想にあると考える事は、あながち的外れでもないようにも思われます。

(続く)

2024(令和6)年2月16日(金)

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