宮沢賢治が生きた時代の日本【なぜ宮沢賢治は岩手から生まれたのか?(8)】[#26]
宮沢賢治が生きた時代、日本国内では、新聞を中心としたマスメディアの発達による情報化や政治的権利の獲得運動による民主化等により大衆の時代を迎え、文化的にも「ハイカラ」で「モダン」な消費文化が発達しました。
(この記事は、10月14日の記事から続いています。)
「大衆文学」「大衆歌謡」「カフェー」などといった大正文化を表現する言葉は、第二次世界大戦の「戦前」というフィルターを通して漠然と想像する大正時代の風景とは趣が異なっています。
世界が強くつながり合う時代に生まれ、その恩恵を十二分に享受できるほどの経済的な豊かさを持つ立場であった賢治にとって、賊軍の汚名から立ち上がろうと海外に目を向け、世界を舞台としながら国内での地位を高めようと努力し続けた岩手に生まれたことこそが、世界に目を向ける事となった要因の一つなのではないでしょうか。賢治は、アジアのはずれにある日本の、さらに一地方である岩手に住みながらも、世界を身近に感じながら、世界にアクセスしていたように思えます。
2022(令和4)年10月18日(火)
(続く)
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