見出し画像

命のコスパ-2053年の尊厳死- 第5話

永久凍土

 10070問題が叫ばれて久しい。
 100歳近くなった親がまともに生活することができず、70代の子供に頼り、子供自身も親の年金に頼って生活するという状態のことだ。

 親子ともに年金に依存して生活しているため、親に死なれると収入が半減か、それより下がる。
 親子二代の年金でぎりぎり暮らしていた家庭が、その半分以上の収入を絶たれるのだから当然だ。100歳近い親が死んでしまえば、70代の子供も連鎖的に貧困のさらに下に落ちることになる。
 さらに、子供の世代はずっと賃金が上がらない状態で働き続けてきたため、支給される年金額が極端に低い。失われた30年とも言われる時代からのち、賃労働者の所得は税と社会保障費で五割近く天引きされ、しかも額面はまったくといっていいほど上がらなかった。その30年前、つまり今から60年前に比べると、減ってすらいた。企業側が半分を負担していてこれなのだから、人件費の高騰がコスト意識を刺激しても無理はない。企業年金の破綻も20年ほど前から耳にすることが増えた。
 皮肉なのは、今から20年ほど前、2030年代では、新卒の賃金はばらつきがあるものの増えており、昇給も見込めるようになっていたことだ。つまり、2000年代前半に新卒採用される状況にあった世代だけが、初任給も低ければ給料も上がらないという深い谷に落ちているということだ。失われた30年、ロストジェネレーションという呼び名は、正しいかもしれないがあまりに酷い。

 こんな状態で老境を迎えれば、頼れるのは最後のセーフティネットである生活保護しかない。
 ただし、生活保護を受けられれば、それで十分かと言えば、残念ながらそうではない。
 2020年代後半から、生活保護受給者の増大が問題視されだした。そもそも貧困老人の問題はそれ以前からあり、一大人口ボリュームを誇った団塊の世代がリタイアした後、年金も含めて、受給者が激増したのだ。
 結果、2035年、生活保護は現金支給額を引き下げ、補填としてフードチケットや、使途の限定される電子マネーを含むように制度改正された。
 老人を殺す気かという意見は根強くあったが、結果を言えば国民はそれを黙殺した。
 なぜなら、その声を発する当事者たちが、もう既に亡くなり、減り続けていたからだ。死亡しなくても、老齢から選挙には参加しにくくなり、行政に声が届かない。そして世論は高齢者への風当たりを強くした。
 現実的な話をすれば、生きていれば年金や社会保障で収支がプラスになるようなソロバンがはじけなくなったのである。年金額が減った上で、医療費の負担も以前より増えたのだから、家計負担だけが強調される。介護を受けるようになればお荷物扱いをされるようになり、高齢者はただ生きているだけで迷惑だという空気が蔓延した。それほどに、国民が抱える老人は多かったのだ。
 2040年頃からそうした言説が目につくようになり、果たして43年に尊厳死法が可決した。
 その後も、自然減によって高齢者の中でも上の世代、つまりは手厚い福祉を受けていた世代から亡くなり減り続け、高齢者福祉は低減の一途を辿った。

 そして、現在はその後である。
 肌感覚で、確かに「もう年寄りの面倒を見るのはごめんだ」という空気は確実にある。筆者が生まれた2020年代からこちら、高すぎる社会保障費は若者搾取だという声が広がり続けていた。前後がどうかはわからないが、今の世の中は、子育てをしている、しようとする意志を重要視し、それ以外は白い目で見られるような感覚がある。
 上の世代のツケと国民の声によって劣化した生活保護、下がり続ける年金額。それは国民の声を反映したものだと思う。国民そのものの意志として、いま生き残っている高齢者は福祉に頼って生きるのが難しくなったのだ。
 それならば、高齢者に残された道は自活しかない。
 だが、働こうとしても、喜寿を迎えたのちの就労環境は絶望的に厳しい。彼らに門戸を開いている職種は、きつい肉体労働である介護や配送、特殊清掃や警備がほとんどで、もはやそれがこなせる体力は、70代を超えた彼らの多くにはない。
 心身ともに疲れ果てた彼らに、それでも死ぬまで働けと言えるなら、それはまだ救いがあった。
 現実には、死ぬまで働くことすらできないのだ。なぜなら、もう働く方法が、仕事が、体力がないからだ。

 ずっとそうであったものが固着したように、就職氷河期という世代はついに雪解けの日を迎えることはなかった。
 30年前の2020年代当時、8050問題と言われていた事象は、2053年現在には10070問題となり、そして尊厳死へとつながった。世代ごと棄民されたと言っても過言ではない。
 あったのは雪解けではなく、ただ終わりだった。
 西川さんも柴田さんも、典型的な就職氷河期世代の男性である。 

第6話リンク

第1話リンク


いいなと思ったら応援しよう!