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道徳の授業でいじめにあった話
いじめが成立するのは、被害者と加害者が明白になったときだと思います。
つまり、被害者がイジメられたと認識しないとイジメには当てはまらないのだと思います。
僕は集団で無視されることがありました。
それは道徳の授業から始まったのです。
担任の先生からも非難されて、完全に自分の居場所は無くなりました。孤立です。
どんな授業だったのか、今も覚えています。
阪神大震災が起きた時、火事で今にも崩れ落ちそうな家から、消防士が避難してる途中で家族を助けたという話でした。
あなたなら同じことをしますか?という質問に、僕だけしません。と答えました。
32人クラスの中で、31人はします。と答えました。
僕は座ってた位置の関係上、最後の方に答えていたのを覚えています。
最初に答えていたら、この結果も変わっていたかもしれません。
助けようと思わないのか?と聞かれた時
助けようとは思わない。と答えたのも覚えてます。
何故、助けようと思わないのか?と聞かれた時に、消防士は業務だから。プライベートで危険を冒して目先の命を救うより、これから業務で沢山の命を救った方が効率がいいから。と答えました。
その時に先生が首を傾げて、僕のことを目を細めて見たのを未だに覚えてます。
答えのない質問に、答えを求めている。
集団に合わせてないと生きていけない、田舎ならではの封建的社会。
とても、気持ちが悪いなと思いました。
地元というものが苦手です。
僕がそこに存在していたことを、覚えてる人はきっといないでしょう。
上京して八年間、地元に帰らず、警察の方から捜索願が出てるということで職務質問を受けました。
それで、帰省したけど息苦しかったです。
僕は道徳の授業から仲間外れにされるようになりました。
卒業アルバムの写真は全て、上を向いて中指を立ててる写真しかありませんでした。
僕はあの道徳の授業から、中指を立てるクセが直らなくなりました。
今も集団で何かをすると、自分の意見を曲げることはありません。
その為、仲間外れになることもあります。
しかし、それでいいと思えるようになりました。
答えのないことに対して、ディベートするつもりもない。自分を表現することは、いじめられることより遥かに大切なことなのです。
僕は平和主義だから、人と争いを好みません。
それに怒ったり、悲しんだり、喜んだりすることも滅多にないです。疲れるから。
でも自分の意見を、自分自身が1番尊重しなければいけない。他人にどう思われようと、自分が自分を尊重することの大切さを、あの道徳から学んだ気がしました。
中指を立てるくせは、ずっと直りませんが。
そのおかげで、殴られたり、クビになったりすることがありましたが、後悔はしてません。