続けるために必要な考え方
一生涯続けられること、続けたいことって何だろう。選ぶもの次第なのだろうか?それは違う。自分がどれだけそれを続けようと思い、工夫しているか次第なのだと思い知った。
私が知っていた格闘ゲーマー梅原大吾さん
格闘ゲームのうまい人ってことしか知らない
梅原大吾さんを知ったのはニコニコ動画のネタ系の動画だったと思います。「梅原ガ~、画面ㇵジ~」って解説者が叫んでいるものだった。その時はどんな人物か知らなかったけどなんかの表紙に別動画「37秒の軌跡」を見たんだよね。格闘ゲーム苦手な部類のゲームでやりこんではいないけど、この37秒がすごいというのはわかった。こんなことできる人いるだと驚いた。
でも、もっと驚くべきことをこの本を読んで知った。
ゲームをプロとして向き合った初の日本人
今では当たり前になってきている「プロゲーマ」という職業。ゲームが仕事になるというのは私がゲームにはまっていた学生時代には考えられないような話でした。今ではプロを目指す学生がいるんですよね。
でもそれよりも以前から、プロがないとわかりながら、プロとしてゲームに向き合ってきたのが梅原さんでした。楽しむためにゲームをやるのではなく、自身が成長するためにゲームをやる。「何を言っているだこの人は」見ないなことをやり切ってしまったプロ中のプロなんだなということを知りました。
とてもマネできないけど真似ることが正解じゃない
なにか1つを頑張るとはなにか?
「勉強もやらない、運動もしない、すべてをゲームに捧げる、誰よりも。」それを聞いた場合、「ただ遊んでるだけやん」って思ってしまうが、すべてを何かに捧げることは決して楽ではないというのを読んで感じました。
自分で選んだ道だからこそ言い訳できない、そしてそれしかやらないのだから誰よりも時間をかけ、強くなければならい。その熱量は何においても学べるものだと確認が持てるものでした。そして、マネできるもんじゃないとも…
それは、書籍内でもふれていて、「同じことを人にやれとはとても言えない」というニュアンスの事を記載しています。勝ち続けるためには必要なことかもしれません。ですが、それでも目指していきたいことがあるのなら「目の前の階段5つくらい上るまでを頑張る」ことを「つづける」ことが大事だと発言しています。自分の完成を今の段階で決めず、昇る中で自分を見つける。そのような感覚でやる方が続けられると。
すべての階段を上って確かめる、例え繋がってないと知ってる階段でも
格闘の技術の習得に対して、以下のような例えを挙げています。
気になる戦法や方法を見つけたらとことん研究し尽くす。仮にそれがすでに使えないよと言われるようなものでも自分で必ず確かめる。そして確かめ切ったら次の戦法を自身で確かめ最後まで…。すべての戦法、キャラクター、に対して行う
と。
正直途方もないと思った。淡々と描いているせいですぐに気付けないが、相当の数の戦法を自身で確認しているんだなと思った。正直想像がつかない。
でも、こうすることで誰もが身に付けることのできない「梅原大吾」としての強さが出来上がるのだと言っていた。
これを私たちがやるとなるとどうなるのだろうか?ありとあらゆる技法、記述方法を試し、反応を見て分析し、応用する感じだろうか…とてもじゃないができることが多すぎて想像もつかない量の思考が必要になるってことしかわからない。
…改めて書いて思ったよ、とんでもない人やなって。
日々成長を感じれる量を、一生継続できる量を
努力に関して「受験」を例に出していました。1日15時間勉強して来ました、という受験生。すごいことだと認めつつもそれを一生続けることができるかと問うたそうです。ある一定の期間、最大限の努力をすることは時に必要としていましたが、一生を通して勝ち続けようとした場合は一定の期間の最大限努力は逆に良くないとしていました。常に常に続けられる量、1%の成長を感じれる量を続けることが重要だとしていました。
人生論の「人生は長距離走」に通じるものだなと思いました。急に大成するなんてことはなく、日々何かしらの見えない成長、感じにくい成長の積み重ねからふとした瞬間に大成するのだと思う。
強もその1つの成長があったと…静かに感じれている。
TODO
1:今日の成長の記録を残す
記事のどこかに成長が感じれるかと
2:日々の健康に関して記録する
常に向上するものではないが週、月で見たときにより良くなっていると感じれるようにする
3:一時の喜びではなく常に平常心の喜びを得るようにする