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この社会の分断について
ニュースを見ていると、自粛をよびかけ、家から出ている人を叩く一方で、自粛警察の行動が問題だと言われています。まだまだ経営している店があって客が来ていると、店まで行ってインタビューをし見せしめにする一方で、こんな危機のなかでも頑張って経営しているレストランがあると特集をしたりもしています。そんな、二律背反するようなメッセージを一つの番組内で流し続ける。長期休暇の間、そういう報道をずっと目にしてきま
もっとみるお久しぶりです。日々いろいろと書いているのですが、こちらのブログには投稿できていません。もう一つ、こちらのブログとは完全に独立させる形で、新しいブログを作って運用しています。こちらも引き続き運用していくつもりですので、よろしくお願いします。
西阪仰『相互行為分析という視点 文化と心の社会学的記述』1章 (まとめ)
1章 相互行為分析という方法
社会成員自身にとっての社会秩序に近づくための方法として本書が提案するのが、「(相互行為を隠れた条件・根拠などから) 説明すること」の放棄である (:34)。本書は徹底して「ある相互行為の秩序が、相互行為の具体的進行のなかで、またその具体的進行をとおして、その時々の相互行為上の偶然的条件に依存しながら、いかに組織されているのか」の記述を行う (:35)。
◎ 1
頭のなかにあるように思えたアイディアは書いてみると大したことなく、また一度書いたものはすぐに陳腐なものとなってしまう。それでも、そのなにもなさ、陳腐さを自覚するために書かねばならない。どこにも表現せずに自分の頭のなかにはすごいものがあると思い込むことほど、恥ずかしいことはない。
陳腐化させるためにこそ、書かねばならない。隙間なく書かねばならない。
西阪仰『相互行為分析という視点 文化と心の社会学的記述』序章 (まとめ)
序章 社会という領域
◎ 1節 相互知識のパラドックス
社会が成立するためには、「互いの存在を知りあっていること」、そして (競争や協力にあたっては)「同じコノもの、アノものを見ていること」を必要とする。しかし、いくつかの例に従って検討を行うと、この条件が成立するためには社会の成員が無限の「相互知識」を持つ必要があることとなってしまう。
〇 親しみとして軽蔑の言葉を送るという儀礼について。
その場で啓蒙してやろうかと思ったけれど、苦言を言うに留まった。
飲み会で「結婚は他人との契約だ」と言ったところ、理解できないと散々言われた上に老人陣から「男は炊事場に入るな」とか言われたので、これは今一度民法典論争についてまとめておかないといけませんね。
本当はちゃんと切り取って花の位置を調整したほうが良いと個人的には思うのだけど、今回は一切の加工無しで載せてみた。
写真、なかなか上手くならないので、こういうふうに考察を加えていくのも良いかもしれない。
花の撮影。-縦の構図、横の構図-
先日の写真記事が意外と人気だったので、たまには写真の構図について語ってみても良いかもしれない。
撮影場所は横浜の山下公園。カメラは一眼。画像に加工等は行っていない。
山下公園を単純に撮影
さて、単純に花を撮るといっても、当然だが様々な構図がありえる。
第一に、花を中心に持ってくる場合。
これは花そのものの美しさを際立たせるのに良い。
シンプルに中央に持ってきた写真
同じく中央に
一部写真は夜景撮影したうえでさらに拡大切り出しをしており、これはまぁかなりキツイ。パソコンで表示するには全然耐えられないレベル。しかし、三脚等なしの手持ち撮影でここまで夜景が撮れるようになったことには素直に感動。
スマホでの写真撮影 (ディズニーシーにて)。
趣味というほどではないのだが、基本的に遠出をする際には一眼カメラで写真を撮影している。一眼でカチャカチャと設定をいじり、思った通りの絵が撮れたり、何気ない景色がきれいに撮れたりすると、とてもうれしい。(ちなみにゲーム中もスクリーンショットを撮るのが好きで、そのことはここに書いた。いくつかのゲームの景色を紹介しながら、なぜゲームをするのかを考えた記事)。
しかし、一眼には明確な弱点がある。
数日間パソコンに触れられない環境にいたのと、仕事が多忙でメンタルがやられていたため更新を怠っていた。再開する。
「街が記号的である」とはどういうことか。あるいは景色の「それらしさ」について。(短文)
前回の話に関連して、沖縄の景色について書きたい。今回の記事はその準備のための内容。
今日沖縄は日本国内でも随一の観光地となっている。海に囲まれているため一年中気温も安定しており、旅行先に選びやすい。戦跡も多いため修学旅行先などとしても選択肢に挙げやすく、台風の多さに目をつむれば観光地として抜群の魅力を有している。
しかし、(いくら沖縄がリゾート地として開発しやすい素養をもともと有していた