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西阪仰『相互行為分析という視点 文化と心の社会学的記述』1章 (まとめ)
1章 相互行為分析という方法
社会成員自身にとっての社会秩序に近づくための方法として本書が提案するのが、「(相互行為を隠れた条件・根拠などから) 説明すること」の放棄である (:34)。本書は徹底して「ある相互行為の秩序が、相互行為の具体的進行のなかで、またその具体的進行をとおして、その時々の相互行為上の偶然的条件に依存しながら、いかに組織されているのか」の記述を行う (:35)。
◎ 1
西阪仰『相互行為分析という視点 文化と心の社会学的記述』序章 (まとめ)
序章 社会という領域
◎ 1節 相互知識のパラドックス
社会が成立するためには、「互いの存在を知りあっていること」、そして (競争や協力にあたっては)「同じコノもの、アノものを見ていること」を必要とする。しかし、いくつかの例に従って検討を行うと、この条件が成立するためには社会の成員が無限の「相互知識」を持つ必要があることとなってしまう。
〇 親しみとして軽蔑の言葉を送るという儀礼について。
小宮友根『実践の中のジェンダー 法システムの社会学的記述』(2011) 第6章 被害者の意思を認定する
〇 概要
我々の行為・アイデンティティには無数の記述可能性がある。したがって、行為やアイデンティティを書くということは、一つの「意味」を選択することである (:217)。判決文を書くという行為も、正当な判決を下すという目的のための記述の選択を意味するのであり、まさにそうした選択があるからこそ、それは正当な判決文として理解可能となるのである (:219)。そして、こうした記述の正当性にはサックスが
小宮友根『実践の中のジェンダー 法システムの社会学的記述』(2011) 第4章 法的推論と常識的知識
〇 概要
基本的に法現象研究は、「法的なもの」と「そうではないもの (社会)」を分けて両者の関係を考えてきた。それに対して、法解釈と常識的推論の不可分な関係を明らかにするのが本章の目的である。
まず、法的活動には「正当化」の試みが不可欠である (:156)。そして、正当化の試みにおいては、当該システム内で受け入れられる「よい理由」以外は行為の理由として意味をなさない (たとえ他の理由で説明が可
小宮友根『実践の中のジェンダー 法システムの社会学的記述』(2011) 第2章 社会システムの経験的記述
以下、何記事かにわたって、『実践の中のジェンダー』のまとめとコメントを公開します……。が、なかなかに難しい内容であり、全然読み解けていない感がすごいです。あと、この記事のコメントで出てくるルーマンの話は、ちゃんと確認せずにイメージで書いています。あまり参考にしないでください。
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〇 概要
社会学は「行為」を記述するにあたって、主観的な意味を理解しなければ行為の記述を行うことが
ルーマン「社会学的パースペクティブから見た規範」(1969) 1節まとめ
現在の周知の見解では、社会学と法学は存在[~であること]と当為[~すべきこと]の差異に従って分離されている。しかし、人間の行為を対象とするあらゆる科学は、存在および当為を主題とせざるをえない[:21]。もちろん、[存在と当為を扱うからといって]自然法の復興という方向からその根拠づけを行ってはならない。求められるのは「自然法における《自然》だったものを別のものにうまく置き換え」ることであり、「『人
もっとみるマートン『社会理論と社会構造』序章・1章
序論 (p.p.1-14) 本書に収録された諸論文は、「理論と調査の統合」、「理論と方法の系統的整理」という関心に沿って蒐集されたものである (:1)。
まず、理論について語る前にマートンが注意を向けさせるのが「中範囲の理論」ともいうべきものである (:3)。これは「日々繰返される調査などで豊富に展開されている、小さな作業仮説」と「社会行動の、非常に多くの劃一性をできれば導出するような主要な概念
本の自炊環境を整えることを全力でおススメする記事。自炊はいいぞ!
〈目次〉
0. いま、猛烈に、人に自炊をおススメしたい!
1. 最初に確認!自炊は誰に向いているのか。
2. 技術に驚き!紙と同じように書けるんです。
3. ただし、健康被害もある。
4. で、何を揃えたらよいのか。
5. とにかく、自炊はいいぞ。
0. いま、猛烈に、人に自炊をおススメしたい!
夏に、自宅の本を電子書籍化する環境 (いわゆる自炊環境) を整えた。
ドキュメン
河口和也 『クィア・スタディーズ』 (2003) 第1章「レズビアン/ゲイ・スタディーズ前史」 第2章「レズビアン/ゲイ・スタディーズ」
とある読書会で、「クィア・スタディーズの現在」という題で報告したもの。内容要約にコメントを添えて。なお、次の記事とセットのつもり。
第1章 「レズビアン/ゲイ・スタディーズ前史」 要約
1. 同性愛解放運動の黎明期―ドイツにおける同性愛の「犯罪化」と「病理化」― (p.1-7)
19世紀後半、イギリス・アメリカ・ドイツなどでは、同性愛の犯罪化と同時に医療化が進行していた。例え
有薗真代 「物語を生きるということ - 『性同一性障害』者の生活史から」 (2004)
この論文についての要約とコメント。なお、前の記事からの続きでもある。
概要
本稿は、「社会的に予め周縁性を付与された人々が、日常生活で直面する困難や痛みにそのつどどのように対処していくのか」 という問いに迫るために、セクシャルマイノリティの生活史を分析するものである (:55)。事例としてあげられるのは、「身体が男性で性自認が女性の、所謂 『性同一性障害』 である」 Kさん。Kさんは
「社会を語ること」の難しさについて:「社会学」は何が難しいのか。②
3. 社会学の困難① : 「社会学で社会がわかること」 それ自体に既に問題がはらまれている。
(1) 私たちには何が見えていないのか
さて、以上の内容を引き継ぎつつ、以下の二節では 「概念と観察」「内部記述と観察者の観察」といった視点から社会学の困難を記述していくことにしよう。
まず、本節では 「概念と観察」 というところに焦点を当てる。先に社会学の第一歩は 「ある特定の概念によって、ある
「社会を語ること」の難しさについて:「社会学」は何が難しいのか。①
「社会を語ること」というのは、なぜ難しいのだろうか。この記事では、山本泰「社会がわかるとはどういうことか?社会学がわかるとはどういうことか?」(国際社会科学 64 1-15 2016年3月) という文章を元にしながら、そのことについて考えていく。
1. 社会について語ることの難しさ :「社会について語ること (社会学)」の難しさを考える。
私の専門は、(たぶん)「社会学」だ。専門とい
私とあなたの間のすきま ー 赤江達也論文についてのコメントの補論
人はコミュニケーションの主体たりえるのか。ここから、「主体」と「近代」というものを考えてみたい。なお、この記事は以前書いた以下の記事への補論となっている。
まず、コミュニケーションの定義を「情報の伝達」だとしよう。その上で、やや極端だがわかりやすいある具体例を元に、コミュニケーションについて考えてみたい。
例えば、とある読書会の最中、人の報告中に、私があくびをしたとしよう。おそらく報告者