『手をひく』と『背中を押す』
幼い頃から行動が遅かった。物心ついた時から周りの人たちに『トロい』『使えない』と言われ続けて育った。そのためか正直今でも自分に自信が持てずにいる。
幼い頃にバカにされたから努力して克服したと言う人もいるのだろうが、バカにされた事が傷となって蓄積されて克服するための気力を失う事もある。『褒めて伸ばす』はあながち間違ってはいないと感じる。
幼い頃は、姉が非常に優秀だったので、小中学校では散々比較され『宝石の姉とゴミの妹』と言われ続けていた。今では大問題になる発言だが当時は平気で大人が言っていた。
その『宝石の姉』に勉強を教わったりしていたが、二言目には『誰でも猿でもできる』『目瞑っててもできる』が口癖で中高生の頃になると、私の名前をもじって『バカでもトモでもできる』と言う様になり、父によく叱られていた。優秀と言われる姉だが学校の宿題をまともにやったことがほとんどなく、夏休みや冬休みの宿題ともなると、家族総出動で姉の宿題を手伝った。母は家庭科の宿題のエプロンをミシンで作り、父は刺繍の宿題を器用に作り、私は習っていない算数ドリルの答えを父の言う通りにノートに綺麗に書く。(父は刺繍をしながら算数の計算問題を解いていたのだからリスペクトである)
当の本人は何をやっていたか。すでに終わっている図工の宿題の手直しを鼻歌まじりでやっていたのだ(爆笑)
当時の事を振り返ると必ず『ホントお父さんやお母さん、姉の私が手伝ってあげなかったらどうなってたか、感謝して欲しいわ』と言う。記憶捏造も特技の一つである。
舌がんを患って舌亜全摘手術をし、電話応対などが難しくなった事から、一般の仕事ができなくなった(と思い込んでるだけかもしれないが)私に『早く自分で稼げるようになれ』と姉が色々とアドバイスしてくる様になった。
うちの夫はややこしい人なのでバレずにお金を稼がなくてはならなかったのも悩みのタネだった(私が稼いでる事が分かると生活費を入れてくれなくなる可能性大だから)
最初は在宅内職、クラウドソーシング、フリーランスのイラストの仕事、果てはセミナー開催して起業する事にまで話は発展した。
話は発展したが、いざ動こうとすると『自分で調べて』と突き放された。それまでは、知り合いにサポートしてくれるプロがいるから安心してと言って手をグイグイ引っ張っておいて、突然パッと手を離すのだ。引っ張られていた方は手を突然離された反動で後ろへ大きく転倒し大怪我を負うことになる。受け身ができないから尚更。途中で手を離すつもりならば『ここまではサポートするから、ここからは自分の力で出来るか』確認が必要である。面倒くさくなるなら、最初から手を引っ張るべきではないと私は思う。
これは子供の受験も同じことが言えると、経験から学んだ。
娘は中学受験も経験しているが、この時の私は『手を引っ張る』大人だった。いくら娘自身が言い出した事とはいえ、前へ進めなくなった娘を後ろでフワフワのワタのように受け止め、動き出すのを待てる母親だったら結果は違っていただろうと思う。結局、私立中高一貫校に通っている間、娘には非常に苦しい思いをさせてしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいになるorz
その時の反省が大学受験で活きた。娘自身も『こんな連中と一緒の場所にいたくない!上へ行くんだ!』と言う強い意志があったからでもあるが、大学受験を意識した時から、娘の手を引っ張るのをやめた。病後だったので、そのバイタリティがないのも理由の一つだったが、娘が望む場所へ行かせてやりたい一心だった。
中学受験と同じ轍を踏まないためにはどうしたらいい?とじっくり考え、娘が歩くのを後ろで待つこと、そして進みたい方向へ行くのに、自分の能力以外の妨害が出たら取り除くサポートをすること(親が出来るサポートの第一はお金である)、更に未だ人生経験が浅く選択肢が少ない娘に、人生の先輩である私が持ってる知識を判断材料として提供すること。もちろん押し付けるのは論外。
娘の後ろで背中を守りつつ、一緒に一歩一歩進んだ結果、今、娘は憧れ続けた第一志望大学の学生になり、自分に合った場所を手に入れた。『私幸せ者だ』と嬉しそうに言う娘の笑顔が最高のご褒美であると共に、自分の考えが間違いじゃなかった自信に心が満たされる。
私を『病気で障害を負った可哀想な人』と言う目で見る人が大勢いる。姉もその一人だが、果たして私は『何もできない可哀想な人』なのだろうか?
人を指導すると言う立場に立とうとする人間は『手を引っ張る』だけでは相手に大怪我を負わせるだけで終わる。引っ張る側は面倒くさくなったら手を離せばリセットになるが大怪我して後遺症を負わせられた方は永遠にリセットなどされない。
『背中を押す』覚悟を決めるのは生半可な気持ちではできない。『手を引っ張る』ほど楽ではないから。『背中を押す』と『じっと待つ』はワンセットで成立する。『待つ』という行為がどれほど大変なのか、『手を引っ張る』ストレスと比べたら倍々ゲームどころの騒ぎではない。でも、支える相手に負わなくてもいい怪我を負わせる可能性はゼロに近い。後々のことを考えたらどちらが得なのだろう?
今私にも『背中を押す』人がいてくれる。私が背中を守った娘である。
『慌てなくて良いんじゃない?出来る事とできない事なんて他人が決める事じゃないよ。そんなの本人が確かめるのが一番確実じゃん』と言ってくれる。
大学受験で私が娘に思っていた事が、今度は娘が思っていてくれていることに心強さを感じている。
私の体験や考えている事を発信していきたいです。 同じ病気を抱えている方やご家族に明るい話題をお伝えできるよう日々精進!がんばるぞ!