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第二十五話 「後手後手」

先生は怖いが、学校は楽しい。緊張と緩和の中、いろいろなことを学んでいく。その中で、私がどハマりしたものが二つある。いや、私がと言うより、学年全体で流行していた。

一つは、「三国志」だ。図書室でたまたま手に取った本だった。三国志と言えば、中国の昔の国の争いを記した壮大な物語である。

本を読むのが好きだった私は、すぐにその世界に引き込まれ、図書室にあった三国志関連の本をすべて読破した。中国だけあって難しい漢字がたくさん出てくるが、大体はなんとなく読めた。これまでの勉強の成果が発揮された瞬間だった。

さらに、本だけでは飽き足らず、ファミコンのカセットも買ってもらった。どういう経緯か忘れたが、その頃にはテレビゲームがあったので、一日中、三国志漬けとなった。

しかしまあ、面白い。こんな時代があったとは。人と人の想い、国と国の意地がぶつかり合い、それぞれの正義を貫くべく、大地を駆け巡る。

三国志と言うだけあって、三つだけの国の話なんだろうと思いきやとんでもない。その三つになるまでにどれだけのドラマがあったことか。よくありがちな質問で、

「結局どの国が勝ったの?」

というのがあるが、ここが三国志の儚いところ、いや、三国志のみならず、歴史の儚いところなのだが、結局、三国とも天下統一を果たせないのだ。さらに、三国を出し抜いて統一を成し遂げた「晋」という国も、長続きせず、また争いが始まっていくのである。

歴史はこの分裂と統合の繰り返しである。人間の細胞自体がそうなのだから、細胞の集合体の人間がそういう行動を取ってしまうことは、自然の摂理というものなのだろうか。

そんなロマン溢れる物語は、血気盛んな男子たちを虜にした。

どの武将が好きか、どの戦いが好きか、自分だったらどういう戦略を立てたか、などなど、話は尽きない。

私は三国志に多くの事を学んだ。頭が良いだけではダメ、力が強いだけでもダメ、慎重過ぎると機を失い、強引過ぎると裏をかかれる。優しすぎると部下になめられ、厳し過ぎると反発を招く。なんら今の世の中と変わりないではないか。

こうして三国志は、私の道徳の教科書となった。

もう一つハマったのが、「将棋」だ。当時は何と言っても、羽生善治さんが大活躍されていた時だった。空前の将棋ブームということで、放課後になると小学生が神妙な面持ちで将棋を打ち始めるという、なんとも渋い光景が広がった。

将棋の魅力は、なんと言っても「手を読む」ことだろう。こう打つと相手はこう来るだろうから、その時はこうして、いや、こう打ってくる可能性もあるから、今はこう打っておいた方がいいのか。いやそれとも…。

このように、キリがない。数え切れない選択肢の中から、最善の手を探っていく。まさに人生そのものではないか。駆け引きに溢れたこの世界を、81個のマスに凝縮。それが将棋だ…と思っている。

そんな、将棋の世界に引き込んでくれた羽生さんと、なんと一度だけ対局したことがある。市の催したイベントに来てくれたのだ。イベントの内容は、

「地元の小学生百人と対局」

という、今考えると凄すぎるイベントだ。市長さん、頑張りましたね。

百人相手と言っても一人ずつやるのではなく、百個の席を用意し、四角の陣を作る。その中を羽生さんが、一手指したら隣、一手指したら隣といったように、ぐるぐる周回していく。という仕組みだ。しかも羽生さんはハンデとして、十秒以内に指さなければならない。

このルールだったらひょっとしたらひょっとしちゃうんじゃないだろうか…。いくら羽生さんといえど、毎回違う盤面で十秒以内に指すなんて…どこかでミスをするに決まってる。そこをうまく突けば俺にだって勝機はあるさ…。

そんなことを考えながら席に座り、盤面を見つめ、あれやこれやと作戦を練りながら待つ。すると、司会の方が現れ、マイクでしゃべり始めると、ギャラリーもたくさん集まって来て、一気にイベントが現実味を帯び始めた。

そして遂に、司会のアナウンスにより、羽生善治さんが登場した。それはもう、まさにあの、テレビで見たままの格好だった。

「すげー、本物だ…」

正直、オーラと言われるものは感じない。ただ、その素朴さがかえって不気味なのだ。能ある鷹は爪を隠すと言うが、その通りだと思う。本当の大物は別に周囲に才能をひけらかす必要がないのだ。あくまで自然体である。

そんな羽生さんの百人斬りが始まった。涼しい表情で、一手ずつ指しながら周回していく。将棋は、序盤にはある程度のセオリーが存在するので、その手順に沿って手を進めていけば、それなりの形になる。いい調子だ。羽生さんもセオリーどおりに淡々と指していく。間近で見る羽生さんは、小柄で顔が小さかったが、盤面を見つめる目は鋭かった。この人の脳内では、とんでもない速度で駒が動いているのだろう。

そうこうしている内に、中盤に差し掛かる。するとどうだろう、自分なりには最善の一手を繰り出していたつもりが、いつの間にか劣勢になっている。あれよあれよと追い込まれ、言葉通り、打つ手がなくなった。

終わってみれば、当然と言えば当然だが、結局誰も羽生さんに勝った人はいなかった。

羽生さんは、やっぱり凄かった。

この経験を経て、私はさらに将棋の世界にどっぷり浸かっていくことになる。

三国志に将棋、やはり私は、頭を使うゲームが好きなようだ。戦略を立て、理想の実現のために最善の一手を考え、行動していく。

しかしこの時の私は気にも留めていなかった。

自分の人生に関してはまるで後手に回っていることに。

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