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立ち食いそば

駅構内の立ち食いそばの店が目に入る。

表の食券機は光っており、のれんの下からはスーツを着た脚が覗いている。

だいたいいつも、2~3人分の脚。

そこを通るときには、早く帰りたいという気持ちが大きいこともあって、何回通っても、入店しようと思ったことはなかった。

そもそも私には一人でごはん屋さんに入る習慣が無かったし、「立ち食い」や「駅構内での食事」ということにも全く馴染みがなかった。

そんな理由で、いつか行ってみたいなぁと思いながらも眺め通るのがお決まりなのだが、最近その立ち食いそばが無性に気になっている。

きっかけは、高校時代の友人からの「今から立ち食いそばでも食べて帰ろかな」というLINEである。

その日はちょうど、「このまま仕事終わりに一緒にごはん行けたらいいのになぁ。」なんて話をしていたところだった。

その子とは就職がきっかけで離れてしまったが、LINEではこまめにやりとりをしている。

違う学校に通っていた大学時代は、ごくたまに帰りに合流してスターバックスへ行ったり屋外の広場に座り込んで話したりしていた。突然思い立ってお笑いライブのチケットを買いに行ったこともあった。

コロナ渦でもZOOMやLINEで、抽象的なだらだらとした、でも自分たちにとっては深刻な悩みについて、結構長く話すような間柄だった。

そんな友達と、仕事帰りに一緒にご飯に行くことができれば、どんなに心強いだろうか。日常の楽しみにそれを加えられるとしたら、慣れない仕事に対する辛さも緩和されるだろうか。

そんなことができたらいいのになぁ、と切実に思った。

こんな想いがあったためか、その後の「今から立ち食いそばでも食べて帰ろかな」という文面が、自分の中にものすごく深い印象を残した。

仕事帰りに友人と食事へ行って話すことへの渇望と、「仕事帰りの立ち食いそば」という行為への微かな憧れがなんとなく交わった。

それから、立ち食いそば屋を通るたびに、例の友人を思い出す。

行きたいなぁ、でも行けないなぁ、と思いながら。

そもそも立ち食いそばというものは直立して食べるものなのだろうか。いつも覗いている脚は曲がっていたっけ?顔とテーブルの高低差ってどれくらいなのだろう。その差が大きかったなら、器を持って食べるものなのか、それとも脚や腰を曲げるものなのだろうか。

メニューはどれくらいの値段なのだろう、店にはどれくらい滞在するものなのだろう、待っている間は何をするのだろう。改札を出るときに時間切れになったりは?

店を通るたびにたくさんの謎が出現し、友人が思い浮かぶことが心強くもあり、寂しくもある。

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シシカ
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