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027 無責任に、烏滸がましく、あなたの幸せを祈っている

「わたしのこと、ほんとうにすき?」
画面の中の少女がそう問いかける。好きだよ、と答えてハッピーエンド。めでたしめでたしよかったね。でもそれ、ほんと?ほんとうってほんとなの?ドラマでも漫画でもよく聞くこの台詞を最近自分に問いかけている。私、あの人のこと、ほんとうにすきだったのでしょうか。

結局のところ『ほんとうにすき』ってなんだろう。何を持っていれば、どんな感情を持ち合わせていれば、ほんとうだと言えるのだろう。キスもセックスも好きだよなんて台詞も、私、気持ちがなくてもできるって知ってる。だってできたもん。好きじゃなくても"自分のもの"が侵されそうになったら執着するし、ほら、「ほんとうにすきだから嫉妬する」なんてこともなさそう。ほんとうとほんとうじゃないすきの境界線はどこですか。

きっとあの人のこと、すきではあったの。だってあの人と一緒にいるのは楽しかった。私から振ったくせに泣いた。それはほんとう。事実だもの。嫌いだとか微塵もすきじゃないとか、そんなことはなかったけれど、恋愛として大好きだったのかと問われると不安になる。人として好きだからと、"都合がいい"を"好き"に変換してはいなかっただろうか。

感情がもっと数値みたいに見えれば、『この値なら興味なし。ここからここは人として好き。これ以上なら恋愛として好き。』みたいにはっきりと分かったのに。分かってどうしたいの?と聞かれても答えはないけれど、都合よく使ってたんじゃないかって不安に苛まれることはなくなるでしょう?「都合よく使ってやる」って分かっていてやってるのと、「自分でも分からず結果的に都合よく使ってた」っていうのは全く別物じゃない?私の中では後者の方が悪で、だから私って極悪人なんじゃないかって思うんだよ。

恋なんて綺麗なものにして、好きだと思い込んで、ほんとうはすきじゃありませんでしたって、そんな酷いことある?優しくて温かいしっかり者のあの人は私のことをきっとほんとうにすきだったのに、私はほんとうじゃなかったのかもしれないの、恋心を都合よく利用されて私の寂しさをあなたが優しさで埋め尽くしたのにすきな人が見つかったら捨てられて、あの人、私と居るとひどく可哀想に見える。だから別れてよかったね。あの人のこと、解放して褒められてもいいくらいだよね、ねえ。

初めはすごくすきだったような気がしたんだけど、別の人となにをしても罪悪感すらなくなって、好きでもない人とキスをしてはあなたの顔を思い出しもしなかった。辛いときにいつもそばにいてくれたのに、あなたとの関係性を大事にしなかった。それなのに今更、無責任に、烏滸がましく、あなたの幸せを祈っている。



027 無責任に、烏滸がましく、あなたの幸せを祈っている

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