012 当たり前の顔をしてそばに居ないでね、それって絶対特別なんだから
(年末の話を今更上げました。)
年末なので大掃除を始めた。きっとマメな人は毎日きちんと掃除をしているから、大掃除で苦労することはないのだろうな。ズボラにクイックワイパーを週に一回かけるだけじゃあ、いざよく見るとあちこちの汚れが気になって仕方がなくなる。目が悪いせいにするけれど、遠目では分からないのだから生活に困らない気もするが、いやいや、気持ちよさの問題だな。マメに掃除をする気力が欲しい。
大掃除ついでに断捨離もする。断捨離は結構好きなので、シーズン毎にしてたりする。それだけ手放すということはそれだけ手にしているということで、私は無駄の塊な気もしてくる。衝動買いを減らす努力はしているが、給料日は危険だ。なんでも買える気持ちになる。そうして給料日前は豆腐生活になるわけだけれど。
大掃除と断捨離をしながら、今更ながら気づいたことがある。ものを持ちすぎると何があるのかどこにあるのか分からなくなるということ。滅茶苦茶今更滅茶苦茶当然のことを実感する。当たり前なことってふと格言みたいに脳に響いてくるから不思議だ。「勿体無くて捨てられない。」「思い入れがあって捨てられない。」激しく同意する。無理に捨てる必要もないとも思う。ただ、思い出せないようなものは私にとって必要なのだろうか。幼い頃に買ってもらった人形たち、可愛くって飾ってみても埃を被せてしまったりする。大切にするってきっとそうじゃない。でも結局捨てられはしない。思い出を生き写しのように残しておきたい。しかし元彼との思い出の品は別れる前から捨てられるところを見ると、私はかなり家族に重きがありすぎる。あっはっは。
当たり前なことっていつもそっと寄り添うように静かなものばかりで、意識しないと見失ってしまうから、時々振り返るように生きなければならないなと思う。むしゃくしゃして大切な人にほど当たってしまった時とか、心配してくれた人にどうせという顔で大丈夫と答えた時とか、後から思い出すたび痛むから。
当たり前の顔をしてそばに居ないでね、それって絶対特別なんだから。
012 当たり前の顔をしてそばに居ないでね、それって絶対特別なんだから
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