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中3から書き続けた「芸人新聞」がラジオの企画になりました

「芸人新聞を元にした企画を考えている」

銀シャリさんのポッドキャスト番組「銀シャリのおトぎばなし」から、そのようなご依頼をいただいた時、私の心臓はバクバクでとても冷静でいられる状況ではなかった。

お笑い好きな私が、一年間の芸人ニュースをまとめた新聞を書き始めたのが中学3年生の頃。12年前。
その後、新聞をnoteにひっそり上げていたら、銀シャリの橋本さんがたまたま見つけてくださって、同番組で触れたのがきっかけだった。


新聞を振り返ってみると、
銀シャリさんは2011〜2013年まで毎年「編集長が選ぶ流行語大賞」を受賞され、その後も度々記事に登場。
昨年は橋本さんが「今年の男」に選ばれるなど、15以上の記事があった。

だから、最初に気づいて、取り上げてくださったのが「銀シャリ」という事実がとても嬉しい。

2022年 今年の男

まさか、誰に見せるでもなく書いていた新聞が芸人さんご本人の目に触れることがあるなんて…
今すぐ勉強机で新聞を書く中3の自分に「あんた最高!」と伝えたくなった。


子どもの頃から編集者という夢はあったが、就活で叶わず。
今の会社に就職しつつ、新聞やそれをまとめたZINE(同人誌のようなもの)を作ったりしていた。

「好き」をどこまで極めるか、
仕事にするかしないのか、
ぼわんとした悩みの答えを先延ばして生きているような感覚だった。

noteは上手い文章を書けるようになりたくて、たまに投稿していたが、一般人の日常などそう簡単に読まれるはずもなく、モヤモヤが溜まっていく一方だった。

だから今年7月、note創作大賞に応募して
何にもならなかったら発信するのを辞めよう。と。
新聞は書き続けるけれど、別に載せなくたっていいじゃないか。と考えていた。

案の定、大した反響もなく、まぁそんな上手くいかんよなぁ…と思ったその矢先であった。

「銀シャリのオールナイトニッポンポッドキャストで橋本さんが芸人新聞の話をされてます」

ええええええ?!
作家・畠さんからのご連絡。
そして取材の申し込み。

いや、畠さんって、あの?!
いつも笑い声聞いてる??
霜降り明星のオールナイトニッポンもご担当の??

しかもこの連絡をいただいたのは偶然私の誕生日だった。
史上最高のギフトと言ってよい。

取材の中で芸人新聞とは何なのか、自分は何者なのかといった話をし、12年分の新聞を資料提供という形でお送りしたのだった。

数週間後、新聞が一つの企画になった。
聴いていただくと分かるが、とんでもなくマニアックな仕上がりとなっている。

こんなことってあるのか…。
あの銀シャリさんが私を編集長と呼んでいる!
あの大好きな銀シャリさんが。
あのツアータイトルが毎度最高でお馴染みの銀シャリさんが。
あの「誰がYMCA小文字でやんねん!」というマイベストM-1ツッコミ叩き出してる、銀シャリさんが。

もうそれはそれは夢のようなラジオ体験だった。
劇場の名前が飛び交う時間は至福だった。

いつかもし、銀シャリさんにお会いすることがあったら、「あの時のしらはです」と言えるような選択をしていきたい。そんな風に思った。
クイック・ジャパンならぬ、シラハ・ジャパン作ったろ。

そして近いうちに、椅子がバスの補助席のようなルミネに銀シャリを観に行こう。

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