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ジンを飲みながら

目の前の鮮やかな緑とピンクに心が躍る。

ミントとベリーの香りと少しスパイシーな匂いが鼻を突く。

池尻大橋の駅から少し歩いたところにあるカフェバーで仲の良い知人が私に聞くのは、私の生い立ちの話。

「ベトナムで生まれたんだけど、両親が薬漬けでさ。ある日悪い人たちがやってきて二人を連れてっちゃったから双子の弟と二人で必死で夜のフエの町を走って逃げたの。フエは空にカラフルな提灯が浮かんでいてね、とても神秘的で美しい街なんだよ。逃げ疲れて二人で力尽きて倒れてたの。でも誰も助けてくれないから、しばらくは屋台の食べ物を少し盗んで食べて生きてたの。そしたら日本から来た観光客がさ、うちに来る?って言うからついて行くことにしたの。そこから私の日本での生活が始まってね、猟銃と生き物が生きる声とみかん畑のスプリンクラーの音がBGMの何にも無い田舎町での新しい人生が始まったの。でも弟は心臓に不治の病を抱えていてね、すぐに死んじゃったの。そしたら連れて帰ってきてくれた2人目のお父さんとお母さんがおかしくなって私に酷いことを言ったり、叩いたり、首を絞めたり、髪の毛を持ってひきづったるするようになったの。それでね、小学校6年生の誕生日にその父親が自殺して、母親と二人でその家を出なくちゃいけなくなって、母親の実家に転がり込んだんだけど、母方の祖父母もボケてて毎日大げんかして誰かが泣いてたの。それで私が大学進学することになって、私は今こうして池尻大橋であなたと二人でお酒を飲んでるってわけ。」

というようなことを言ったらその知人は満足そうに耳障りのいい言葉を私に投げかけながらうまそうに酒を飲んだ。その間、私は知人の喉仏が上下するのをじっと見つめる。ちなみにベトナムの件は嘘だ。

世界はプラスマイナスの収支が合うようにできているわけではないので、悲しい出来事があったからと言って、嬉しくなる出来事が同じだけあるわけではない。

この一杯と私の1時間のアルバイト代は同じか、よしこのいっぱいは大事に飲もうという固い決意を胸に、つまらない話に耳を傾け適当に相槌を打つ。

そこでグラスを勢いよく机に置いて「ぶっ殺してやんよ!」などと予想だにしなかった言葉が向こうから出てこないかな、退屈だなと思いながら、鼻をくすぐるミントの香りに嗅覚を集中させる。

私がさっき言った話は、真実か、嘘かなんて今この状況ではどうでも良いのだ。

きっと世界はそういうものだ。そしたらその知人が生い立ちについて語ってくれた。

「いや俺はさ、東京の下町で生まれてさ、母親は専業主婦、父親はサラリーマンっていう典型的なよくあるどこにでもいる家族だったんだよね。両親は俺が何かするたびにうちの子天才なんじゃないか?!って言ってさ、その二人が俺に笑いかけてくれるのが何よりも幸せだったんだよね。俺の住んでた街はさ、昔からのお店が結構多くて、小学校から帰るときにいつも駄菓子屋で十円くらいのお菓子を買って帰るのが楽しみだったんだ。いい街だよ。高校のサッカー部で主将をしてさ、結構サッカーにも打ち込んでたんだよね。その頃初めて彼女ができたんだよ。結局大学進学するときに別れちゃったんだけど。でサッカーを大学でも続けたくて、スポーツ推薦で大学に入ったの。それで今、ここでこうしてジンを飲んでるってわけ。」

確かこんなことを言っていたような気がする。

物事は球体であり、その球体をどこから見て、そう語るかにその人の個性は出るような気がする。

グラスの中の氷が溶けて、どんどんジンが薄まっていく。

私は今まで自分を信じるというということを信条に生きてきた。

この人の信条は一体なんなんだろうか。と考えながらその人の話を聞くのは、結構楽しかったりする。

誰かに期待せず、絶望することもなく、生きることを理想としながら、それでも希望を捨てずにかろうじて人間としての形を留めて生きている。

こんな私はいつかだれかと生きて行くことができるのだろうか。

それとも虎になるのだろうか。

#ほろ酔い文学

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