不登校を乗り越えて3 すべて壊れた日
この文章は、息子と娘が不登校になった頃の記録です。
ご興味を持っていただけましたら、
不登校を乗り越えて1~今悩んでる人へ~からお読みください!(^^)!
夫婦の不仲
子供二人が学校へ行けなくなり、その状況を見た夫は私を責めた。
「子供を甘やかしてる」「高校にも行けなかったら、どうするんだ。」「エアコンのつけすぎで身体が弱ってるんだ」
いろんな事を言った。
ここだけを聞くと夫が悪者に見えるが、うちはこうなる前から不仲だったのだ。
長年の恨みつらみが重なって、私もずっと彼に優しくはなかった。
彼はその言葉を子供には言わなかったので、普段から態度の悪い私への、不満をぶつけたのだと思う。
私は「子供を理解してあげてほしい」と伝えたが、これまで子供にほとんど関心のなかった夫が理解するには時間がかかりそうだった。
当時私は、子育てや家事に協力的でない夫にうんざりしていた。本当に大変な事は山程あったのに、肝心な時に彼はいつもいない。
夫を当てにしても、何もかも間に合わないので、私は夫には頼らず完全に子供のことを自分一人でやった。子供は待ってはくれないから…。
初めは強がり、意地になっていたが、かわいい子供達と出かけたり、生活することは喜びになり、いつからか故郷を離れて孤独だった私の生きがいになった。
3人で仲良く過ごした。釣りにもよく連れて行ったし、いちご狩りやイベントも車を運転してよく遊びに連れて行った。
ママ友もたくさんできた。地域にも馴染み、困った時には、友達が助けてくれた。
その分、夫とは距離ができてしまった。今思えば、夫の入る隙間さえ与えていなかったように思う。
私は寂しがり屋なのに、いつからかスーパー強い女になっていた。
というより、ならなければいけなかった…。 かも。
優しさを持ち寄る場面はもちろんあったと思うが、ちゃんと受け取れてなかったように思う。
きっとそれは「お互い」だ。
そういう夫婦は、きっと山ほどいるだろう。
もうどうやっても元には戻れない夫婦だった。
ついにパンクしてしまう
夫の理解が得られず、なんだか毎日胸が苦しかった。
今までは、子供達が元気だったから、フットワークが軽くどこへでも行けた。
子供達が具合を崩してからは、心も身体もなんだか重かった。
私は吐き気と目眩で苦しむようになり、仕事も行けなくなった。食事がほとんど取れなくなって、体重も落ちてた。足元もフラフラとしてなんだかおかしかった。
夏休みに入ったある日、身体が高熱時みたいにしんどくなった。なんとか娘の前ではいつも通り過ごしていた。
娘がAmazon primeで映画「天気の子」を見ようと言ってきたので2人で見ていた。
そして、ちょっとスリリングなシーンを見ていたら急に息苦しくなった。なんだろう…
じっとしておれず、立ち上がる。
足が震えてその場に立っていられなくなり、汗が頭皮をジトっと流れた。
呼吸がおかしく感じて、ものすごい動悸で気を失いそうになった。これはいけないと思い 娘に心配ないからとだけ伝えて、携帯で救急車を呼んでしまった。
199を押す手がカタカタ震えていた。
でも、診察の結果は身体に異常はなしだった…。
あれは、きっとパニック発作だったと思う。
別居することになる
それから、私は夫が仕事から帰ってくると動悸がして息苦しくなった。
鍵がガチャっと開くだけでドキドキドキドキ…!
夫が歩く足音を聞くだけでドキドキドキドキ…!!
この時はまだ不仲だったので、どう頑張っても突然いい夫婦にはなれなかった。とにかく私は子供と自分の事で精一杯で他のことは何もできなくなってしまった。
ようは、パンクしてしまったのだ。
夫は家庭に起きていることをあまり理解していないようだった。コロナで仕事が減りイライラしている様子。
さらに、家にいる時間が増えて家族全員で家にいる状況が続き、私のやる事は倍増した。
もう、これは無理だ…離れたい。
私は実家が遠方で、簡単に子供を連れて帰る事はできない。
夫の実家が20分程の所にあり、会社にも近いので、せめて子供が回復するまでしばらく夫だけお世話になれないかと提案した。
夫はムスっとして聞く耳を持たず、さらに機嫌が悪くなってしまった。
もうどれだけ話してもわかり合えないんだと思った。
冷静に話せないので両家の親に来てもらい話し合いをすることにした。
彼にしてみたら、話し合いは唐突だったと思う。夫と私は喧嘩になると全く話にならない。だからちゃんと話さないといけない時は私が人を呼んだ。話は「離婚」にまで発展した。
毎度の事だ。私たちは本当に、お騒がせ夫婦だ。
夫は話し合いの途中で怒ってドタバタと荷物をまとめて出て行ってしまったので、今後の事、養育費や細かい話は何も出来きないまま「離婚」になってしまった。
離婚届はまだ出せない。
翌日外出して帰ってきたら、机の上に家の鍵が置いてあった。
私は、「本当にもう帰ってこない」という意思表示だと思った。
「コロナ離婚」という言葉が流行った。
きっとこういうことなのだと思った。切れそうでもなんとかやってきて細い糸にぶら下がっているような状況がコロナの重みでプツっときれたような感じ。
休校からその日に至るまで、うちの家庭はガッツリとコロナの影響を受けてしまった。
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