哲学が分からなくなってくる
お久しぶりです。
私が哲学に触れて半年以上たち、noteやYouTubeで勉強した証を投稿していたりするんですが、最近哲学が分からなくなってきました。
というのも、今までは西洋哲学中心に勉強していて、知を愛すること、知をアップデートすることなどが哲学だ、という前提をもって勉強していたんですが、最近東洋哲学を勉強してみると、全然違うことを言っていきます。
一言でいうならば、「考えるな、感じろ」、的なことを言ってくるわけです。
正直今の私は混乱しています。
確かに、西洋哲学のように議論して、よりよいものを作っていくことも大切ではあるんですが、一方で世の中には考えても無駄なものというものは存在します。
つまり西洋哲学のような考え方では突破できない壁というものがあるわけです
ですが、東洋哲学のように悟りを開くのも現実的ではない。
実際この考え方を身に付ければ考え方は大きく変わり、世界をありのままに見ることができるのかもしれませんが、到達する人は少なく、また誤解をさせられてしまうことが多い哲学でもあります。
つまりどちらもそれなりの欠点を持っていて、かつ、論点が違いすぎるため、融合することが難しい哲学でもあるわけです。
とはいえ、フーコーなどは法則などは存在しないといっていたりするので、西洋哲学の中でも東洋哲学の考え方はあるのかもしれませんが…
というただの悩みが最近出てきましたが、その時ふとある言葉が出てきました。
「ネガティブケイパビリティ」
これは「事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」のことを指します。
解決できず、時間のかかる問題というものは思想を不快にさせますが、逆に言えば、不快になれるほどの知識量を得ることができたという一つの壁にぶち当たることもできました。
という私の勝手な喜びと壁についてなんとなく話しただけのブログ
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