人生の余白
昨日7月10日の朝日新聞『日曜に想う』の「余白の使い方教える教育を」(吉田純子記者)を読んで、久しぶりに深い思いを感じた
昨今優勝だけを目指す部活などが問題になっていることから始まり
世界的なピアニストは、鍵盤をさわる時間より
読書や絵を描く時間が長いとか、哲学書を読んでいたり、というエピソードを紹介し
消費されぬ己の芯を磨き抜くためには
学びの時間、余白が必要というくだりがあった
キャリコンの様々なネット上の集まりに接して思ったのは
そこに哲学や教養はどれくらいあるのだろうか
ということだった
知識や経験の切り売りと一瞬で消費されるそれら
それは浅薄皮相なキャリアコンサルトを提供してしまうことに繋がらないか
ネットという空間で行われるセミナーに熱狂する人々
そこにちょっとでも疑問を持ち
俯瞰する視点が必要ではないか
様々な人々の考えを聞くこと
そして読書で対話することは、
キャリコンとしても人間としても
引き出しを増やし、深遠なる思考へと繋がり
相談者の気持ちを思い、そして聴き、伝わるように話すことに
繋がるのではないか
新聞離れが進んでいるが、このような深い洞察力と豊富な取材経験からもたらされる知見は人生にも仕事にも必要であると考えている
改めて、新聞の良さを思い、また、哲学書や文学の世界に浸りたい、と思った日曜の午後だった