"読書という荒野" 感想 - 読書は人間力を高めるか
月曜から読書を始めて今日で五日目。
仕事が暇になったからとはいえ、こんなに立て続けに本を読んだことはない。まして読書感想文なんてずっと嫌いだったものを好き好んで書いているのだから、人生何が起こるかわからない。
たぶん、今月いっぱい平日は本を読み続けると思うので、"読書"と言う行為についてもう少し深掘りしてみようという気持ちになった。
そこで今日手に取った本はこちら。
いわゆる、ジャケ買いだった。
幻冬社の創業者である見城さんの本は、学生時代に1度読んだことがあって、「辛くなきゃ仕事じゃねえ!」と言っていた記憶がある。
就職に恐れ戦いていた、か弱い男子大学生にとって畏怖の対象であり、どこか憧れもあった。
波はあれど今の仕事はぬくぬくとやっているのだけど。
自己検証、自己否定、自己嫌悪
自分は昔から、どこかマッチョ思想への憧れがあった。本棚には岡本太郎の「自分の中に毒を持て」があるし三島由紀夫の「不道徳教育講座」がある。見城さんもこの二人に通じるものを感じている。
この本の中で、「自己検証、自己否定、自己嫌悪の三つがなければ、人間は進歩しない」と繰り返し説かれているのだが、それはその通りだと思う。
自分も昔から自分に自信が無く、現状に満足できた試しがない。一時期、自己否定が過ぎて自己啓発、心理学、宗教、スピリチュアルに救済を求めたこともあるけど、結局は言葉の羅列である。
一年ほど瞑想を続けていた時期もあったが、瞑想はそれ以上でも以下でもない。少しの間無になる能力が身についただけだ。自信が付くわけでも人生の問題が全て解決する訳でもない。
ただ、それらの視点を獲得したことで、現実には自分としての視点と、瞑想的な視点の2つが存在することを理解できたので、「人生なるようになるし何が起きても大丈夫。」と思えるようになったのは大きい。
でもやはり、進歩するためには多少の痛みを伴うものだと思う。ホメオスタシスとかいう自己防衛の仕組み的にもそうなんじゃないだろうか。
スピリチュアルに語らせれば、「そういう世界をあなたが選んでいるのです。楽しむことが成長に繋がるのです。」って言われそうだけど。
そういう意味では、自分をいじめるのが好きなのかもしれない。
仮に自分がドMだとしたら、見城さんや岡本太郎はドドドM、三島由紀夫はドドドドMくらいMだと思う。
燃料としてのコンプレックス
本の内容は見城さんの半生と仕事、本の紹介がメインだ。バッチリ幻冬社の本の宣伝になっているから、流石は創業者である。
見城さんの仕事ぶりと有名な作家さんとの絡みが紹介されるのだけど、やはり強烈なコンプレックスを抱えた人間でないと物書きにはなれないのだろう、と改めて感じた。
編集者は、その作家達に認められ、親密な関係を持ち、才能を商品へ昇華しなければならないのだから、同じくらい強烈なコンプレックスと気概が必要だ。石原慎太郎と仕事をするために「太陽の季節」と「処刑の部屋」を一言一句違わず暗記したというエピソードは凄まじい。
他の多くの作家達とも毎晩飲み明かしたというようなエピソードが散見され、村上龍とは1週間泊まり込みでテニスに明け暮れたという。見城さんの働き方が特殊とはいえ、編集者の仕事は型通りにはいかず、人間力とやらが試される。
本に登場する、荒んだ家庭環境、顔や体のコンプレックス、いじめの経験が見城さんの原動力となって、歴史に残る数々の名作を生み出したのだろう。昨日の「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」で語られていた"差別"でさえ、この本の中では感動的なドラマを生み出すための材料とまで言われている。
「光が多いところでは、影も強くなる」と今週どこかでゲーテのセリフを引用した気がしたが、そう考えれば自分のコンプレックスも現実を生き抜くための大事な燃料である。
読書は人間としての深みを醸成するか
「本は他人の人生を経験できるツールである」という言説がある。読書をすればするほど、人ひとりが一生で経験することより遥かに多くのことを学ぶことができる、と。
これはその通りだと思うが、行きすぎると、読書をしないと人間としての深みが醸成されない、とまで言われることがある。
この説には半分異論がある。確かに読書によって視野が広がったり問題解決になることがある。だが読書には痛みを伴わない。人と人とが関わる時のあの感情の揺さぶりは、読書では起こり得ない。
読書でもある程度の、自己検証、自己否定、自己嫌悪は起こり得るが、人と関わった時のそれと比べたら微々たるものだ。だから読書だけでは人間力は醸成されないと思う。
自分の中で、人間力があるか、人間に深みがあるか、とかは全て、かっこいいかどうかに集約される。
同世代の27歳であれば、才能があって努力もしてて、でかいことしてて、仲間想いな人、ローランド、朝倉未来、DJ社長、粗品、とかの方が読書家で売っている人たちより、人間に深みがあって人間力があるように見える。
この本に出てきた人だと、三島由紀夫、石原慎太郎、団鬼六、村上龍、見城さんはかっこいい。
やはり多くの人と関わって自分のやりたいことを突き詰めている人たちはかっこいい。
認識者から実践者へ
しかし、本を全く読まないのも考えものである。
本は知識であり、知識は現実を創る力となる。
本は地図であり、まだ見ぬ景色への道標となる。
本は他者であり、知り得ない内面の言葉を知る。
本は人間に幅を与える。実践することで深みが出る。そうして人間力とやらが醸成されていくのだろう。
この本の帯に「実践しなければ読書じゃない」とある。このセリフは、人間力と読書を語った時に生じる矛盾を、解消してほしいという見城さんの願いなのかもしれない。
それか、ただ単に、「実践するためにこの本を読んだ後は幻冬社の本買ってね」っていうポジショントークなのかもしれない。
まとめ
そう、読書ばかりで全く実践していない自分が読書論を語ったところで、全く説得力が無いのだ。
読書も、それ以上でも以下でも無い、くらいに考えて、楽しむ余裕もほしいですね。