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失恋はロマンチック、音楽はそれを助長する最高である。

昔から
失恋すると大体テーマソングができる。

高1の時の初めての彼氏はHYの『366日』。
次の彼氏は片平里奈の『女の子は泣かない』。
その次はたしかTETORAの『今日くらいは』だったと思う。

カラオケで失恋ソングを歌う人もいるけど、大体曲の雰囲気とか、内容とかで元カレがどんなやつでどんな別れ方をしたのかわかってしまう。

大体私は同じ曲を永遠にループして聴く。そして、泣く、泣きまくる。車の中が最高のシュチュエーション。見慣れた外の景色がどんどん変わって、彼との日々を思い出す速度も加速するからセンチメンタルになりやすいのだ。失恋にあえて塩を塗りに行くのは強迫性障害の確認行為の延長線上にあるような気がして正直よろしくないのだけど、大体その曲が飽きてきて、失恋ソングから応援歌に変わるあたりで失恋終了となる。

私の平凡な日常を、失恋×音楽でドラマチックに変えることができるので失恋の度無意識にこれを繰り返す。同じような人は言わないだけでたくさんいると思っている。LINEミュージックなんてそのためにあると私は思っているし。

ドラマに効果音があることで状況を彩るのと同じように、私の人生にもセルフ効果音で彩りをそえるようにしている。ただ失恋しただけでは傷つき損だ。せめてドラマチックであってほしいし、そうでないと勿体ない。


さて、今回の失恋のテーマソングはというと
こちら
ASIAN KUNG-FU GENERATION『ソラニン』
である。

言わずと知れた名曲
1996年生まれの私の周りではあまり聞いている人はいなかったが、16歳の青春を彩ったのは間違いなくアジカンだった。

宮崎あおいバージョンもそちらはそちらで好みだけれど、今回の失恋には本家アジカンがピッタリだった。


さよなら それもいいさ
どこかで元気でやれよ
さよなら 僕もどーにかやるさ
さよなら そうするよ

   

スーパーの帰り道、2人で歩いた道を一人で
夕日を見ながら歩く、そしてアジカン。

体の大きさを超えて何かが溢れていきそうになる感覚を抑える。イヤホンの音量を上げ、まだ少し冷たい空気を大きく吸う。吐く息は極小さく、口先だけでロックンロールを。周りが一瞬エキストラになる自分だけの時間。
書いておいてなんかキモい。けど恥を捨てたらそんな感じ。


さよなら それもいいさ と言う潔さ。
ぼくもどーにかやるさ という適当さ。
彼を自分の中から優しく送り出したい今の私には、力の抜き加減が絶妙でちょうどいい。投げやりじゃない、前向きで、少しさびしいお別れだ。

浅野いにお 先生、こんな素敵な歌詞をありがとう
アジカンの皆さん、歌ってくれてありがとう。16の私、ロックを愛してくれてありがとう。

切なくて苦しい状況も、音楽とロマンチックの力で乗り越えられる。音楽がいつだって私を次の時間に送り出してくれる。ハードルの高い人生、強くいられるのは音楽とロマンチックのおかげだ。

音楽は俯瞰の手助けをしてくれると思う。
辛く苦しい時、その状況にぴったりなテーマソングをかけて、私は今ドラマの主人公なのね、と思えば、楽しめてしまえる。


ちょうど今、失恋ソングを聴き飽きて
応援歌を聴き始めた。

皆さんにもテーマソングありますか?
今どんなことを頑張って、または、苦しんだり喜んだりして、どんな曲を聴いているんでしょうか。それぞれの人生を彩る音楽がきっと皆さん一人一人にあるんでしょうね。









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