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信頼できる大人は良い大人?【地域教育】【ベイズ統計学】
はじめに
最近は、地域の人々や学校が連携して子どもたちの教育や地域社会の活性化を図る取り組みが活発ですが、
地域で良い大人と本当に出会えるのか?
そして、地域で出会う大学生・大人を信頼してもいいのか?
この問いをベイズの定理を用いて考えていこうと思います。
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問いの背景
先日、一般社団法人カタリバが開催する「マイプロジェクトアワード2024」の宮城県サミットに大学生スタッフとして参加してきました!
宮城と神奈川という地域による違いなのか、4年間という時間の流れによる変化なのか、高校生が大学生・大人と出会う機会が多いように思えます。
通信制高校でインターンをしていたときには学校に大学生スタッフが常駐しておしゃべりしていたし、バイトをしてる高校生も多くて、自分のバイト先のレストランでは普通に高校生がビールやらハイボールやらを提供してる状況ですし、
自分が高校生だった時に出会った大学生・大人よりも、大学時代に会った高校生数のほうが多いなあって思います。
ただ、感覚だけじゃなく、社会的にも高校生が出会う大人は多くなっているんじゃないか?と思ってきました。
2022年から必修科目になった「総合的な探究の時間」では、「社会に開かれた教育課程」の理念の元、高校生が周辺地域・企業と接点を持つ学び方が広がりを見せています。
自分が高校生の時には既にあった職業体験・出前講座・社会人授業をはじめ、探究学習の伴走支援をする企業が現れ、高校生が企業と接点を持つ活動の多様化が進んでいます。
宮城県にも総合的な学習の時間の伴走支援をする団体があり、活発に活動しているようです。今振り返っても、高校生のときにはあんまり地域学習ってなかったなと思います。
検証したい問題
社会には良い大人ばかりいるとは限らないし大人だって間違う時があるのだけれど、
子供の時って大人の人はみんな立派に見えていて、親の言うことや大人の言うことは、全て正しいように見える。
大学生や大人と場面で出会う機会が増えたからこそ、
・やりたいことがあるのに、その夢を無理だと言う大人
・たばこや飲酒を進める大人
・年相応に成熟していない大学生たち
のような人たちと高校生が接する機会も増えているのではないでしょうか。もともと教育の専門家として教師が存在していたのに、そうでない大人が教育に携わっているのだから、こういった問題も考えねばならないと思います。(それでも自分は結構この近年の動向に対してはポジティブな立場ですが。)
そこで、こんな問題について考えてみたいです。
高校生たちは出会う大学生・大人たちを信頼してもいいのか?
「高校生が信頼する大人は本当に良い大人なのか?」という問いを検証することでこの問題について考えていこうと思います。
ベイズの定理を用いた計算
良い大人というのがかなり曖昧な定義なのですが、今回は試論という立ち位置での計算として(論文でもないので)ざっくりとした定義のまま進めようかと思います。イメージとしては本人にとって良い大人とは、キャリアを考えるきっかけとなったり、問いを投げかけてきて気づきを与えてくれるような存在かなと。
ある高校生Aさんは、10人の大人のうち9人を良い大人とみなすと仮定します。(大人と話をする高校生たちはその機会をポジティブに捉えていることが多いと感じているので高い値を設定しました。)
そして、Aさんは自分にとって良い大人のうち5割を信頼し、そうでない大人のうち2割を信頼するとします。
このとき、Aさんが信頼する大人が良い大人である確率はどれくらいでしょうか?
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ベイズの定理を用いることで因果関係が逆向きの関係についての確率を調べることが出来ます。
ふつうは「いい人だと判断する→その人を信頼する」という流れだと思うのですが、
今回は「信頼した人→その人は良い大人?」という時系列が逆向きの事例についての計算になります。
出会った大人が良い大人であるという事象をX、信頼するという事象をYとおくとき、信頼した人が良い大人であるという確率は以下のように表されます。
$$
P(X|Y)=\frac{P(Y|X)P(X)}{P(Y)}
$$
$${P(Y|X)}$$は良い大人を信頼する確率で、その値は$${0.5}$$
$${P(X)}$$はその人が良い大人である確率で、その値は$${0.9}$$
$${P(Y|X)}$$大人を信頼する確率で、その値は$${0.1×0.2+0.9×0.5}$$
つまり、
$$
P(X|Y)=\frac{P(Y|X)P(X)}{P(Y)}
=\frac{0.5×0.9}{0.1×0.2+0.9×0.5}
=0.9574....
$$
計算の結果、Aさんが信頼した人の95.7パーセントがAさんにとって良い大人だと分かりました。もともと90%の大人を良い大人だと考えていることから、信頼できる大人に絞ったほうがAさんにとってプラスとなる確率が高まりますね。
結果
本当に世の中がこんなに良い大人であふれているかどうかわかりませんが、この結果から、Aさんの信頼する人のほとんどが良い大人であると言えるでしょう。
よって、高校生たちは出会う大学生・大人たちを信頼してもいいのか?という問いに対してはYesと回答できそうです。ただし、十分な判断力を持っていることが条件となります。
ここでいう十分な判断力とは特に「自分に良くない大人を信頼しない力」です。良くない大人を信頼する確率をできるだけ低くすることが、良い出会いを増やすためのミソであると数式から言えます。どんな人を信じるかよりも、どんな人を信じないのか決めておくことが、良い大人と出会う確率を高めるでしょう。
ただ、シュミレーションでは良くない大人の20%を信頼してしまうと仮定しましたが、そういう大人に限って魅力的だったり言葉がうまかったりするので難しいところですね笑
信頼できる人の言葉は自分に染み渡ったり、縁があれば関係性が続いていくものです。そしてこの判断力を磨いていけばいくほど、自分にとって信頼できて、自分にとって良い大人と出会える確率は高まっていくことが分かります。
ただしまだまだ議論の余地があると思うので、自分が思いついた課題を列挙しておきます。
・良い大人の定義
・バイト先なのか、学校内の出来事なのか、NPO法人のイベントなのか、どこで出会う大人であるかによって「良い大人・そうでない大人」の割合は変わってくること
・良い大人・そうでない大人の2分割は無理があるので「どちらでもない」を含めた議論をすることも考えられる
・高校生が自分にとって良い大人であるかどうか見極める判断力には個人差があると考えられ、その能力によって結果は変動する
・どんな出会いにも意味はあると考えれば、マイナスな出来事もいつかプラスになるかもしれない(つまり前提によっては議論の意味がないという可能性も有り得る)
感想
3つ考えたことがあります。
1つ目は相手が何を望んでいるのかよく見極めること。自分にとって良い大人がどれくらいいるのか(シュミレーションでは10人に9人がいい人)は、ベイズでは主観確率と呼ぶのですが、大人の立ち位置によってはどちら側になることも有り得るかと。
・客観的にちゃんとしている大人
(経済的自立、精神的に成熟しているなど)
・高校生たちにとって主観的に良い大人
(適切なアドバイスをくれる、正面から向き合ってくれるなど)
この2つは似て非なるものであるという気づきは、今後も教育と関わりをもっていきたいと考えるなら重要だと思いました。
2つめは子育てっぽい観点なのですが、小中学生のうちにもたくさんの人と会うことの重要性を感じました。この判断力ってどうやって身につくのだろう?と考えたのですが、これは親の影響が大きいのかなと。親が信頼している人は自分も信頼するし、そうでない人はなんとなく信頼出来ないと学習していくのかなと。
2つ目は結構自分の考えが入っちゃったのですが、小さいうちから安全な状況でたくさんの人に会うことは大事なのかなと思います。
そして、すごく単純に、高校生たちに大人との出会いの機会が増えていることは良いことなのではないかと思いました。もし高校生の時に信頼できる大人と出会えていたら大学選びや職業選択に悩んだとき、その人に相談したり、もっと幅広い選択肢を取ることができたり、やりたいことに早くから挑戦できたかもしれないと思うと、自分は羨ましいなと思います。
最後に
割と楽観的なシュミレーションだったかな?とも思いますが高校生たちが大学生・大人たちと関わることによってたくさんの刺激を得ていることは、自分が目にしてきた紛れもない事実だと思います。
そして、この3月で大学は卒業して事業会社のIT職に努めることになりました。社会人になっても時間を見つけて投稿は続けるつもりです。
ここまで読んでくださってありがとうございました!