環境は全ての基礎なのかもしれない【時候の挨拶】
拝啓
薫風さわやかな季節を迎え、貴読者におかれましてはますますご清栄のことと存じます。
さて、このたび本稿で取り上げますのは、観天望気と風習についてでございます。なかでも著名で、どこかで誰かに言いたくなる情報と思われるものをご紹介させて頂きたく存じます。小噺がしばしばありますが、お付き合い下さい。
■沖縄の地勢と日本文化
ところは沖縄本島。この独自文化が花ひらいた南の島の言い伝えに、
「デイゴの花が例年より多く咲く時は、台風が多く発生する。」
というものがあるようです。
ご存知の方はすぐにお気付きになられたかと思われますが、これは『THE BOOM/島唄』に唄われている「デイゴの花が咲き 風を呼び 嵐が来た」という歌詞の歌い出しそのものなのです。
この歌い出しは、沖縄本島のあるあるを歌詞に盛り込んだものであり、因習ではなく実際にそのような地勢が実在するのです。
この唄は、宮沢和史さんがたった一人このオバーに聴いてもらいたくて作ったものと言われています。
宮沢さんは、「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れ、ひめゆり学徒隊にいたオバーに出会い、彼女から想像を絶する戦時の悲劇を伺ったのだそうです。そして、このオバーに聴いてもらいたくて『島唄』を制作されたのだそうです。
衝撃的な体験は、どこか、心も身体もその場所に一部をその事柄が起きた場所や時間に置いてきたかのように、忘れられるものではありません。またそれは、外的な観測によるものではなく、当人の感じ方によるものだと思われます。
もちろんオバーの話は建前かもしれません。しかしそれでもこの建前には非常に納得感があり、温かみが感じられるもののように思われます。その土地にしか存在しない美とは、こういうものだと再認識させていただきました。
またこの美には日本的な【侘び・寂び】も感じられ、かけがえのないものを愛でる心が根底にあるものと思われます。
■東日本大地震と日本の文化
さて、ところは変わって、お次は東北地方東部のお話です。歌に盛り込まれた地勢という要素は、東日本大地震ののちに製作された、あの有名な歌にも見えます。
『花が咲く』では、最初に「真っ白な雪道に 春風香る」という宮城県のあるあるを用いた歌詞があり、これは現代人の季節の感じ方に合わせたものと言えるかと存じます。
しかしご覧の通り、『島唄』にくらべてしまうと自然環境に対する理解度・解像度がまったく異なり、正直な話、低く見えます。これが令和と平成初期の最大の違いの一つと言えるのではないでしょうか。私はこれを「味が薄い」と評しております。
土地の情報、つまりヒトが五感で感じた情報が減っていることに起因していると考えられます。そのため、五感のなかでも文章的に不自然のないものを選んで、これを「味が薄い」と例えたものです。
しかし一方で、味が薄くなっても、これらは明らかに、間違いなく日本の風習なのです。
具体的には、【時候の挨拶】の手法と言えるでしょう。
時候の挨拶とは、手紙の最初に「淡い桜の香りが爽やかに漂う春たけなわの候、貴社の皆様にはご隆盛のことと存じます。」といった文章を用いて、読む手間をかけて下さる先様に対して快い感覚を与えるための文章のことです。これを言うために本稿は手紙のテイを引用することで取り入れてみました。
折り目正しい姿勢を表すと同時に、手紙や唄といった「受け取った時点では一方通行のもの」において、"私の話を聞いてほしい"という意図の文に多く用いられています。そのため、その気遣いから礼儀の一環として認識されているものです。
ちょっと面倒なものだと思われる方もおられるかと存じますが、大丈夫、その感覚にも意外と言えるほど明確な理由が付くのです。
私は「味が薄い」と辛口のコメントをしてはいますが、一方で仕方がないものとも考えられると感じております。
日本は災害大国であり、さらにクマやヘビなど人間だけではない危険が多く存在するため、「整えられた自然」を好む傾向があります。こうした地勢からくる自然観にも現状は起因しているものと思われます。
そのため、「面倒だ」という気持ちは日本の地勢に原点があると言えるのです。
また、メールやメッセージアプリ、SNSなどの台頭により、文字による通信は、近年飛躍的に双方向性の高いものになりました。既読スルーなども含めて、人の営みの一部なのだと思われます。
また、歌という形式についても、風化しにくい性質があるように思われます。東日本大地震が風化しないためには、耳(感覚的な記憶)に残る歌が有用であるということにまず間違いはないでしょう。災害大国にとって『花が咲く』は打算的な意味を含めようとも必要な唄であり、多くの方々の頭の片隅に残ることで守られる命が確実にあるのです。
■現在の日本に至る経緯
ただし、全てを礼賛している訳ではありません。例えば、こうした美しい文化を日本は持ち合わせているものの、それを「日本は【おもてなし】がすごい」というように喧伝する場合です。
内容は日本的だけど、言動が日本的ではないように感じられている人は当時とても多く、そのため批判されていたものだったのではなかったでしょうか。
日本文化の範疇は、しばしばこうして"柔軟に変化するもの"のようで、【おもてなし】は日本人の美徳から「国が認定する文化」、すなわち観光戦略に変容させられてしまう事がありました。
もちろんマネタイズできた方が良い面もありますが、長い目で見れば、これは多くの方々が育んだもの。そして、観光産業に関わらない人もこれを重視している人がおられたはずです。そうして人の温かみが希薄になってしまうと危惧する感情もまた、肯定されるべきと考えられます。
しかしながら、その変化を柔軟に楽しむのもまた一興であり、流るるままにそれを楽しむのも日本的と言えるのです。これは、他の文化を取り入れて発展させることも日本らしさの一つであるためです。
日本の文化の大半は、ご存知の通り、外からやってきたものを独自発展させたものが非常に多いのです。
そのため、この切り分けは難しいものですが、現在の暮らしについては、こうして流れや奥行きを知って頂けて、それによって心豊かに健やかに過ごしていただければ幸いです。
それでは、略儀的な春の挨拶となりましたが、より良いGWをお過ごし下さいませ。
敬具
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