「嫌な事があったら笑え!」「馬鹿になれ」 憧れの人の言葉を崇拝したから34年仕事が出来た!?
自己紹介
業界歴34年。シオンに入社して21年、その前は別の制作会社に13年いました。
これまで担当した番組は「ザ・サンデー」「発明将軍ダウンタウン」「ナイナイサイズ!」「踊る!さんま御殿‼」「Cの嵐!」「Dの嵐!」「Gの嵐!」「嵐の宿題くん」「ナカイの窓」「新・日本男児と中居」など主に日本テレビの番組に携わってきました。
仕事始めた時は超バブル時代
1987年に仕事を始めた時、ADは3K(きつい・帰れない・給料安い)と言われていました。
日本テレビで初めて担当した番組は、日本テレビ開局35年特別番組「チョモランマがそこにある‼世界最高峰から生中継!」でした。
今は携帯電話があれば、どこからでも中継する事は可能ですが、この時代はアンテナを立て衛星に電波を飛ばさないと生中継は出来ない為、それをエベレストの頂上から生中継するという画期的な特番でしたが、本番の2~3か月前はほとんど家に帰れない状態でした。
帰っても寝るだけで、その時間がもったいない。だったらスタッフルームに泊まった方が楽だったのでパイプ椅子を3つ並べて寝ていました。
あまりに寝れなかったので、階段の踊り場でうつ伏せ状態で寝てしまい、警備さんが来て起こそうとしても起きないので、「人が死んでます」と大騒ぎになりました(笑)
初任給は105,000円。家賃が55,000円で、残り5万円で生活しないといけませんでしたが、当時はバブル時代で、今では考えられませんが長時間の会議や飯時の会議だと弁当が出る事もありました。
オフライン中(当時はプリ編と言ってましたが・・)も食事代が経費で落ちる時代で、食べる事には困らず、生活費が5万円でも生きていけました。
その他の食事もほぼ上司の奢りで、食生活だけは困らず、働いて1年間で10キロ太りました。
初の海外ロケであわや射殺!?・・
1990年ADの時「ザ・サンデー」という番組で、初めての海外ロケ。
湾岸戦争の取材でイラクに行きました。
アントニオ猪木さんが、湾岸戦争で人質になっている日本人を解放する為、イラクで「スポーツと平和の祭典」を開催する同行取材でした。
私は猪木さんの大ファンなので、自ら立候補してイラクに行きました。
成田からチャーター機。機内でも撮影して、イラクに到着。
ホテルに着いて、早速一緒に行った日本テレビのディレクターから「放送局に日本テレビの報道の人がいるから、そこにここまで撮ったテープを届けてくれ」と言われました。
猪木さんの同行取材の為、報道陣も国賓扱いで、ホテルに止まっているタクシーは無料で使える。片言の英語でドライバーに行先を伝えて放送局へ。
指示された所に行ったら報道の人がいない。
携帯電話もない時なので、どうしたいいか分からない。
そこに機関銃を持った警備員が来て「おまえは何者だ」となった。
「HOLD UP」と言われ銃口が向けられ、凄い強い口調で何か言っている。
湾岸戦争中なので、外からは銃声も聞こえる。
もう一人の警備員が僕のウエストバックを調べ始めた。
ウエストバッグには多額の仮払いが・・
「あーもう終わったこのまま射殺されてしまう」と思い、私はずっと壁に向かって立っていたが、しばらくするとさっきまで怒っていた人たちから笑い声が。
ウエストバックに取材パスが入っていて、それを見て僕が何者か分かり、解放された。
もう死ぬかと思った。
そんな初海外ロケでした。
この写真は、日本人人質解放が出来ず、猪木さんだけイラクに残る事になり、空港まで見送りに来て頂いた時に撮ったものです。猪木さんも僕も涙目・・
34年仕事してきて唯一演者さんと2Sで撮った写真です。
パネルにして後にサインも頂きました。宝物です。
憧れの人明石家さんまさん
1997年10月に始まった「踊る!さんま御殿‼」
ディレクターで11年。プロデューサーで13年明石家さんまさんとお仕事させて頂いています。
もともと、高校生の時に「オレたちひょうきん族」を見て、明石家さんまさんと仕事がしたいと思ったのが、テレビ業界に入ったきっかけの1つでした。
さんま御殿では、収録後のさんまさんの楽屋に同席出来て、憧れのさんまさんのいろいろなお話が聞ける事は毎週の楽しみです。(今はコロナ渦で人数制限が有り入れませんが。)
楽屋では、ほとんどさんまさんがおしゃべりしていて、ほぼ大笑いしていますが、
収録後、さんまさんが出演者の事で、質問する時があります。
その時にすぐ答えられようにいつも準備して収録に臨んでいます。
「今日出た〇〇さん事務所どこ?」「〇〇さん誰と結婚したの?」
出演者の情報(プロフィールやゴシップ等)やまた収録のトーク中に出た話で、さんまさんが知らなそうだった事は、その場で調べて楽屋に入ります。
これが憧れの人さんまさんと話が出来る唯一のチャンスです。
これはさんまさんに自分を覚えて頂く為、番組開始当初から続けています。
楽屋ではさんまさんの正面に座らせて頂く事が多いので、こいつに聞けば出演者情報は詳しいと思って頂き、最近は僕の方を見て質問されるようになりました。
さんまさんの楽屋話で、感銘を受けた言葉があります。
「嫌な事があったら笑っとけばええねん。笑いがあれば幸せになれる。」
「下り坂があれば必ずその後に上り坂が来る」
仕事で嫌なことがあったり、自分がスランプになった時は、この言葉を思い出し
生きています。
有名な話ですが、お正月にさんまさんから御殿のスタッフはお年玉が頂けます。
さんまさんから頂くお年玉は全部使わず持っています。その年のお年玉は1年間財布に入れて御守り代わりにしています。
馬鹿になれ。とことん馬鹿になれ・・私はテレビ馬鹿
「馬鹿になれ とことん馬鹿になれ。」
これはアントニオ猪木さんの言葉です。
猪木さんはプロレスをしていた時、馬鹿みたいにプロレスを愛し、馬鹿のような夢を持ち、馬鹿のように練習して一流選手になった。俺はプロレスバカだと言うのを聞いて以来、自分はテレビに対して馬鹿になってみようと思い、仕事をしてきました。
「馬鹿みたいにテレビを見て、テレビ馬鹿になる」
スポーツ選手が練習するように、自分の場合はバカのようにテレビ番組を見ています。
家にいる時は、番組チェック。
リビングには、テレビ2台、全録ビデオ2台で全チャンネル1か月録画保存しています。
オンタイムで番組を見る時は1台で見たい番組を見て、もう1台はザッピング。
全録で番組チェックしている時は、もう1台でオンタイムの番組をつけています。
レギュラー番組を一緒にしている方の番組、シオン制作の番組、新番組は必ず見るようにしています。
ディレクターの時は、他の番組で何度もやっている事とは被りたくない。
プロデューサーになってからは、おもしろい人材を探すため。
見ている時、気になった事や人があったら、その場で調べ、忘れないようにメモしています。
このメモしているノートも、仕事をする上で凄く役にたっています。
最近は配信やYouTubeなどもあり、地方の番組も見れるので番組をチェックする事も大変になってきた。
でも、番組チェックはルーティンになっていてやめられない。
最新のPanasonicの全録は出演者、好きなワードを登録しておけば、フォルダーに振り分けてくれるし、一度見た番組も勝手に振り分けてくれるのでとても便利です。
1週間の疲れは趣味の時間でストレス発散!!
休みの日は、絶対出かけるようにしています。
好きな事をする事で、1週間の疲れをとっています。
プライベートも馬鹿になっています。
趣味は「プロレス観戦」「美味い焼肉屋巡り」
プロレス観戦はコロナ渦で、最近は観戦する事も少なくなりましたが、今まで観戦した試合のチケットは全部保存していて、数えたら1384試合観ていました。
焼肉屋巡りは、リーズナブルな価格で食べられる焼肉屋さんを探す事で、ちなみに、今まで食べて美味しかった焼肉屋さんベスト3は
1位 西東京市 S 老舗店の料理長が独立して作ったお店
2位 目黒区 S 予約しないと食べられない厚切りタンは絶品
3位 文京区 T レバーがおすすめ
※店名気になる方はお誘い下さい。ご馳走します(笑)
34年間仕事を続けこられたのは、好きな事が仕事として出来たからだと思っています。
自分にとって、テレビ業界の仕事は天職だと思います。
これからも嫌な事があったら笑い、仕事は馬鹿になって、いろいろな事に挑戦していきたいと思います。
株式会社シオン
執行役員/エグゼクティブプロデューサー
小塩 佳宏
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