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やんちゃ→獅子舞→ぐるナイ唯一の女性D!?
はじめまして、ディレクター2年目の倉本華奈です。
私は映像の専門卒なので20歳でテレビ業界へと飛び込みあっという間に7年…
ADの時から知っている人からは落ち着いたとか初々しさがなくなったと言われるので、勝手にいい意味で成長したと捉えておきます。笑
今回は約27年間の私と仕事についてnoteを書いてみます!
やんちゃな幼少期
私は兄はじめ親戚が男ばかりだった環境からか女子っぽいことがすごく嫌いで、スカートは履かない、ピンク色の服は着ないというボーイッシュ女子でした。
小学生時代は男子を廊下で追いかけたり、授業中に男子と喧嘩をして先生に怒られるなど、かなりのやんちゃぶりでした。
そしてしまいには男友達と木登りをして落ちて左腕を骨折したことも…笑
小学生で夢を見つける
そもそもテレビ業界を目指すきっかけは小学生5年生で放送委員会に入ったことです。
私の学校では給食時間に自分たちが企画をした番組を「生放送」していて、そこで自分の番組を見て生徒や先生が笑ってる姿を目の当たりにし、テレビでこんなにも人を笑顔にできるのは楽しい!と小学生ながらテレビ業界で働くことを決めてました。
しかし、その時代のADは激務で両親からその夢は否定されたので、卒業文集には漫画家になると適当なことを書いてました。笑
好奇心旺盛だったのが進路決定へ
親には普通の会社員で普通の幸せな生活をしてほしいと言われたことにより、好奇心旺盛な私は夢を考えることをやめ、様々な経験をしました。
地元での活動としてお囃子で獅子舞を踊ったり(現在もやってます)、子ども会で子供たちの自主的な活動を支えるリーダー的な活動をしてきました。
他にはパソコン作業が好きで高校1年生の文化祭で何故か担任に「今までのクラスの写真のデータあげるから何か作って」と言われ、急遽スライドショーを作成しました。
文化祭でピザの模擬店でそのVTRを流していると友人のお母さんが見て号泣…
この経験をきっかけに改めて映像制作のやりがいを実感し、人を感動させたり笑顔にさせることを仕事にしたいと思いテレビ業界に進むことを決めました!
専門学校があったからこそ
進路を決めたはいいが肝心の親の反対があったので何度も言い争いをしましたが「子供の夢を応援できない親ってなんなんだよ」とついヒートアップして放った一言が良かったのかやっと許しをもらいテレビ業界の知識が学べる専門学校へ入学。
そこからは普通の授業とは異なりドラマ制作のノウハウ、撮影や編集の技術など、専門知識を学んだことでシオンに入社してもいち早くランクアップ出来たと思います。
今では恩師がいる東放学園専門学校に特別講師として現役学生にテレビ業界はこんなところだと教えに行くことも…
ちょっとは恩返しが出来てるのかな…と思います。
現在の私
そんな約27年でした。
今ではぐるナイで唯一の女性ディレクターとして働いてます(今まで女性ディレクターはいないらしい…)
まだまだペーペーなので日々勉強してます!
最近の私はというと在宅作業に癒しを求めハムスターを飼い始め、日々の動画をYouTubeやTikTokに投稿しながらどう加工すればいいか?視聴率を伸ばすにはどうすればいいか?仕事でも対応できるように現在試行錯誤しております。
めっちゃ可愛いうちの子です↓
株式会社シオン
ディレクター
倉本 華奈
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