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25才まで生きた心地がしなかったアラサー女の半生 #5

家族


 引きこもり生活で太った体、伸ばしほうだいの髪の毛、荒れまくった肌、1日中ボロボロの寝間着。身なりはもっとちゃんとしたいはずなのに、その余裕がない。日が出ている間は、調子が悪い体を引きずって"家のこと"をする。夜、みんなが寝静まると、すこし気分が楽になって、夜中までパソコンで絵を描いたり、人の絵を見たり。これが、10代~20代の私の姿です。
 寡黙な父がたまに発する言葉は、ろくでもないものばかりでした。「いつまで起きてる」「学校へ行かない変なやつは困る」「家事を手伝ってくれないとお母さんが辛がる」「お父さんだけがずっと一人で悩んでいる」。仕事はうまくいっていなかったらしく、玄関脇のシューズボックスの上に請求書の山をつくり、祖父が残した土地などを切り崩しつつ、それでもいっぱいいっぱいのようで、家では、ご飯か、眠っているか、ぼんやりテレビを見ているか。父が人とコミュニケーションをとる姿は、一度も見たことがありませんでした。
 母は、お金に貪欲でした。細かいやりくりを苦手とし、私が生まれる前に消費者金融に手を出して問題を起こし、それが使えなくなってからは、あらゆる人に個人的にお金を借りて返さず。子どもにおこづかいとして渡したお金を子どものサイフから抜き取り、子供たちがアルバイトをする年齢になると、子どもからもお金を得ようとし、パチンコにはまり、昼間家を空けるようになり、夜中こっそり帰ってくる。母にどんな話題を振っても「私が一番かわいそうなのよ」という結論で話が終わり、会話にならない。
 そんな両親は、私が生まれてから19年の間に、私を含めて6人の子供を産みました。
 具合が悪く、家に引きこもってばかりいる長女の私を、母親は"アテに"しました。赤んぼうが小さいうちだけめんどうを見て、食材を買い置きして、日中いつの間にか居なくなっている。何度も電話をして、ようやく出たかと思えばパチンコのそう音。「すぐ帰る」と言って切られる。
 汚い格好で家事をして回る私を、きょうだいたちは"3人目の親"として扱いました。感謝されたり、労わられたりしたことは、一度もありませんでした。未熟で、精神不安だった私も、みじめな気持ちになって、家族に当たりちらすことがあり、どうしようもない悪循環がそこにはありました。
 家族とマトモに会わなくなって8年近く。色々と忘れたつもりで、ここまで文章にするのが大変でした。私の生家があった土地は、今は更地になっています。あの空き地ができるまでを、ゆっくり記事にしていこうと思います。

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