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諦めるのは悪なのか?

おはようございます。
sinzoです。


諦めてしまう時って
その判断しているのは自分ですよね。


最後まで走り切る人もいれば
もうダメだ...となって
惜しいところで諦めてしまう人もいる。


後者が僕に当たります。


ただ、最近気付いたのですが
諦めるとしても
その判断をしているのは自分で


その結果を受けるのは自分なので
それをしっかりと理解していれば


諦める諦めないの論点よりも
よりメタの視点で
自分の今の現状と未来の理想像を
観ることができるのかな?と思います。


どういうことかと言うと
大抵の場合、諦めてしまうことへの
ネガティブな感情は他人からの評価を
気にすることによるものだと思うんです。


だから、自分が何かしらの挑戦を
諦めてしまうことを
誰かにとやかく言われようと、


自分がその結末を迎えられる覚悟がある、
もしくは、それでも幸せになれるだろうなと
未来を想像して思えるのであれば


誰かに言われようと諦めてしまっても
良いのではないですかね。


そして大切だと思うのが、
諦めた時に、


何が良くなかったのか?を
しっかり振り返ることだと思うんです。

これができていれば、
諦めようが諦めないだろうが
結果的に自分にとって質の良い経験として
心に残ると思うので、


諦めたと同時に
自分の行動の何が良くなかったのか?を
しっかりと振り返る時間を設ければ
何も問題ないと思います。


仏教でも、諦観と呼ばれる行為で
過去を明らかにするという意味があります。


この明らかにするが
諦めるの語源になっていて


諦めるというのは
むしろ、過去をしっかり振り返る。
すなわち「諦観」するというのが
本来の意味だという教えもあるそうなので、


諦めるのは、
単にgive upでは無く、


そこにじっくり過去を振り返る
因を観ようとする姿勢を
意識したいなと自分は思います。


ここまで読んでいただき
ありがとうございました。

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