空気を読む力
学校教育に関わり25年が過ぎましたが
昔は10年一昔と言いましたが、最近では1年一昔ですかね。
学生をみていて気になるのは、とにかく空気を読む力の低下。
相手の立場にたってものを考える
人の痛みを知る
気配り、心配り
言葉としては教育されてきていますが、それらが血となり肉となってるか?と言えば、とてもそうとは言えないようで、若気の至り? 人間とは、まあ、とにかく若いうちほど自分ファーストなものですから仕方ないなと、自分もそうでしたから(笑)
しかし、それでも最近は、それも異次元と思えるほどの空気が読めない人が増加しています。
空気が読めないから文章は読めるのですが、文脈は読めません。
肉体不在の頭脳至上主義の人間機械論における教育は、いい意味では頭脳だけは賢くなりますが、動物としての空気を読む力は低下します。
気をきかせる
本当、今の多くの学生は出来ません。
これは老若男女問わずです。
人間とは、可塑性が高い高性能な動物故に厄介ともいえます。
気配り
心配り
手配り
頭脳だけでやると色々と不具合が出ます。
ならば自分ファーストで他人の空気など読まなければいいのか?
しかし、それは必ずブーメランとして自分に返ってくるものです。
息を整える、姿勢を正すことの真意は頭脳だけで考えると軽視することになり、結果、ブーメランとしてしっぺ返しをくらうことになるのでお気をつけください。